ドラマイ



 できるだけ日陰をえらんで歩いた。数メートル離れた斜め前方に、猫背気味の堅の後ろ姿があった。いつもどおりの静かな背中で、肩を怒らせているわけでもなく、傍から見れば機嫌を損ねているとは思われない。そのことが万次郎をひどくさみしい気もちにさせた。
 長身の堅の影は長い。足を踏み出すたび、右に、左に、揺れる。彼が好んで日なたを歩いているわけではないことを、万次郎は知っていた。自分と一直線に並びたくないのだ、と。そう思うと苛立った。けれど万次郎は唇を引き結び、文句を飲みこむ。
 喧嘩なんて名づけられないくらいの、他愛のない悪戯の応酬だった。万次郎にとってはじゃれあいとおなじで、だからふと堅の表情がかげったとき、万次郎は咄嗟に、やりすぎた、と口もとを抑えた。むっつりと黙ってしまった堅は顔を背けて、やがて万次郎に背中を向けた。「ちょっと、ケンチン!」と万次郎は叫んだ。声をかけても立ち止まらない堅に腹が立ったけれど、勝手に離れていかれるのもいやで、彼の背中を追って歩き始めた。ビーチサンダルのうすっぺらいソールが砂利を踏んで、乾いた音を立てた。
 くだらないやりとりがこんな事態を招いてしまったことを、万次郎は後悔した。いつものように肩を並べて歩きたいのに、堅は立ち止まらないし歩調も緩めない。
 ――ああ、
 万次郎は顔を上げた。いつも、なんだかだるそうに歩いていたのは、オレの歩幅に合わせてくれていたから? 身長差もあって、ふたりの歩幅にはそれなりの差がある。堅の一歩は万次郎の二歩で、けれどそれを気づかせないほど、万次郎の歩幅やスピードに合わせて堅は歩いていた。
 だからいっしょに歩けてたのかな、オレが気づかなかっただけで。ケンチンは優しいから。
 並んで歩けないことが、万次郎の胸を締めつけた。待って、と追いかけるのは悔しくて、けれどなにも言わないでいれば距離はどんどん離れていってしまう。
 勝手に、離れていくなよ。
 ふと、前方で揺れていた影の動きが止まる。万次郎は足もとに落としていた視線を上げた。堅が振り返って、万次郎を見ていた。切長の目をこちらに向けて、マイキー、と、いつもの声音で呼んだ。
「遅ぇよ、早くこっち来い」
 堅はぶっきらぼうに言って、右手を差し出した。ケンチンがさっさと歩いていったんじゃん、と文句を言いたかったけれど、なにもかもを後回しにして万次郎は堅に駆け寄った。ぎゅうと握りしめた手は大きく、あたたかかった。

(2023.08.28)
 ――離れていくのはどちらだろうか

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 ケンチンに触りたい、と思った。それで、すなおにそう言った。「いつもベタベタ触ってんじゃねーか」とケンチンは言った。ちょっとだけ笑って。そうだけど、とオレは言った。そう、それはそう、だけど。でもちがう。そうじゃなくって。
 容赦なく注ぐ日ざしは背中に熱くって、なにもかもを焼き尽くそうとしてるみたいだった。真夏の昼下がり。暑い暑いと言うオレのために、ケンチンはコンビニに寄ってアイスを買ってくれた。わずかな日陰を求めてコンビニの裏手にまわり、車止めに尻を乗せてアイスの封を切った。冷気が鼻先を掠めた。みず色をしたいかにもつめたそうな氷菓に齧りつく。「冷て」、とオレが笑うと、ケンチンもアイスを齧って「冷てー」と言った。中学に上がって、はじめての夏だった。日陰といっても蒸された空気はしつっこく肌にまとわりついた。隣に座ったケンチンはしゃりしゃりと音を立ててアイスを齧っている。その横顔を見ていると、ふいに体のおくが、むずっ、とした。むずっ?――そんな感触ははじめてのもので、でも、すぐに欲求が追いついて、噴き出した違和感を覆ってしまった。ケンチンに触りたい。なぜか、そのとき、そう思ったのだった。
 車止めに置かれたケンチンの左手に、指を伸ばした。触れる。しっとりと汗の滲んだ皮ふがあった。皮ふはうすくて、骨のかたちが伝わってくる。はじめて、ケンチンそのものに触れた気がした。しばらく手の甲をなぞっていると、頭の上のほうから「くすぐってぇよ」というケンチンの声が聞こえて目をあげる。逆光の中にケンチンの顔があって、表情は見えなかった。構わず、指の腹で湿っぽい皮ふを撫でた。ケンチンはされるがまま、もうなにも言わなかった。
 蒸れた空気のせいで呼吸が苦しかった。でもほんとうにそれだけのせいなのか、ガキんちょのオレにはまだよくわからなかった。


(2023.08.16)

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 抱きしめると、すっかりと腕の中におさまってしまうちいさな体だった。背中を包むように抱いて、万次郎の底に潜む熱を感じれば、ただでさえ蒸した部屋が温度を増す。
 堅の肌にも汗は滲み、熱気がしつこくまとわりついた。万次郎の背中も湿り気を帯びてひどく熱い。こんなに汗だくになってくっついて、でも、なにもしてない。堅はその不思議を思った。大人が、店にやって来る連中が嬢とするようなことは、オレらは一切、やってない。帰りたくない、とごねるマイキーを部屋に泊まらせているだけ。ベッドに転がったマイキーの背中を、抱いているだけ。それだけのこと。なのに、期待をしてしまう自分にうんざりした。
 けんちん、と濡れた声が万次郎のくちびるから転がった。部屋にしみてゆく甘い声に、堅は耐えきれず喉を鳴らした。万次郎の顔は見えない。照明を控えたうす暗く湿度の高い部屋で、ぴたりと体を合わせて、万次郎の髪のきんいろさえも曖昧に滲んでいた。
「……なんも、しねぇから」
 堅はそう言った。なにも、しない。ただ抱きしめていたいだけだから、と。ふっと息を洩らして、万次郎が笑った。
「べつに、なんかしてもいいよ」
 明瞭な声に、堅は一瞬、怯んだ。それから、われに返ったように「あほう」と言って、万次郎のくせっ毛に手を差し入れた。
 あつい、と思った。あつくて、ひどくあつくて、このまま溶けちまいそうだ。<br> 万次郎を抱く腕に力をこめる。うなじに、唇を押しつける。汗をかいて湿った皮ふがあった。思いきり息を吸い、かれの匂いを肺に送りこんだ。

(2023.08.09)

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