カテゴリ「ふゆとら」に属する投稿[3件]
#文字書きワードパレット
とにかく手を、ゆびを、動かさないとだめだなと思ったので、cp理解と書く練習のためにお題をお借りしてなにかしら書いていく企画をします。ひとりで。1から順番にやってゆきます。できれば毎日(ま、毎日‥?)短文なり短歌なりSSなりテクストなりなんでもいいから、小説に満たないものものを。書いているうちになにかわかるかもしれないと期待します。
(お題(画像を含めて)は 文字書きワードパレット(X@Wisteria_Saki) 様よりお借りしました)
#1.プリンシピオ(走る・明け方・神様)/ふゆとら(9軸)
それは神様のいたずらだと誰かに言われたなら、そうかと信じてしまいそうな再会だった。
十年ぶりに千冬の顔を見たとき、殺されるのだろうなと咄嗟に思った。そして同時に、千冬の記憶の底に十年ものあいだ、オレが沈んでいたことがとてもとてもかなしかった。
「お久しぶりです、一虎くん」
いかにも高級そうな黒塗りの外車の運転席で、千冬はうすくほほ笑んでオレの名前を口にした。ムショの中ではナンバリングされていたから、名前で呼ばれるのはひどくひさしぶりのことだった。
千冬は、オレには「羽宮一虎」という名前があったことを思いださせてくれた。
よく晴れた空が眩しい日のことだった。冬のはじまる気配を伴わせた風が鼻先を掠めた。懐かしい匂いが漂って、オレはあのとき泣くべきだったのかもしれなかった。
人を殴ったあとの手は痛いし、返り血に汚れて不快だ。昔はそんなことちっとも思わずにいられたのに、不思議だった。
足もとに転がっている男たちを跨いで、路地を歩いていく。怒声が消えた道は暗く、血の臭いで満ちていた。左右を古びたビルに囲まれたゴミだらけの路地裏、こんな場所で屯ろしている末端のチンピラも東卍の一部なのかと思うと吐き気がした。
夜じゅう東京の街を駆け回り、東京卍會を追いつめるための有益な情報を探す。それがオレに与えられた仕事だった。千冬からそう依頼された。千冬はオレを雇っているつもりなのかもしれないし、利用しているだけかもしれない。ビジネス・パートナー? なんでもいい、かつての東卍を取り戻せるなら。千冬がそれを願うのならば。
千冬の望むことはすべて叶えたかった。なぜかそう、つよく思ったのだった。目的が一致しただけでオレらのあいだには特別な感情など存在しないはずだった。なのにどうして。
電信柱から枝のように伸びた電線が幾筋も、空を横切っていた。視線の先でビルの群れが赤く燃えている。夜明けだ。火をつけたばかりのたばこを足もとに落として踏み潰す。焔はまたたくまに消えた。
次第に明るくなってゆく街を、マンションに向かって歩く足が、気づいたら早足になり、いつのまにか走りだしていた。朝が来てしまう前に帰りたかった。千冬の帰りはいつも明け方だから、帰ってきたときには顔を見て、「おかえり」を言いたかった。千冬はそんなものを少しも望んじゃいないだろうけれど。どうせ一緒にいるのなら、オレの自己満足にもちょっとはつきあってもらってもいいのではないかと思う。
口の端からこぼれた息が頬に当たった。吐き出される自らの息のあたたかさに、オレは思わず安心してしまう。
24.0818
畳む
とにかく手を、ゆびを、動かさないとだめだなと思ったので、cp理解と書く練習のためにお題をお借りしてなにかしら書いていく企画をします。ひとりで。1から順番にやってゆきます。できれば毎日(ま、毎日‥?)短文なり短歌なりSSなりテクストなりなんでもいいから、小説に満たないものものを。書いているうちになにかわかるかもしれないと期待します。
(お題(画像を含めて)は 文字書きワードパレット(X@Wisteria_Saki) 様よりお借りしました)
#1.プリンシピオ(走る・明け方・神様)/ふゆとら(9軸)
それは神様のいたずらだと誰かに言われたなら、そうかと信じてしまいそうな再会だった。
十年ぶりに千冬の顔を見たとき、殺されるのだろうなと咄嗟に思った。そして同時に、千冬の記憶の底に十年ものあいだ、オレが沈んでいたことがとてもとてもかなしかった。
「お久しぶりです、一虎くん」
いかにも高級そうな黒塗りの外車の運転席で、千冬はうすくほほ笑んでオレの名前を口にした。ムショの中ではナンバリングされていたから、名前で呼ばれるのはひどくひさしぶりのことだった。
千冬は、オレには「羽宮一虎」という名前があったことを思いださせてくれた。
よく晴れた空が眩しい日のことだった。冬のはじまる気配を伴わせた風が鼻先を掠めた。懐かしい匂いが漂って、オレはあのとき泣くべきだったのかもしれなかった。
人を殴ったあとの手は痛いし、返り血に汚れて不快だ。昔はそんなことちっとも思わずにいられたのに、不思議だった。
足もとに転がっている男たちを跨いで、路地を歩いていく。怒声が消えた道は暗く、血の臭いで満ちていた。左右を古びたビルに囲まれたゴミだらけの路地裏、こんな場所で屯ろしている末端のチンピラも東卍の一部なのかと思うと吐き気がした。
夜じゅう東京の街を駆け回り、東京卍會を追いつめるための有益な情報を探す。それがオレに与えられた仕事だった。千冬からそう依頼された。千冬はオレを雇っているつもりなのかもしれないし、利用しているだけかもしれない。ビジネス・パートナー? なんでもいい、かつての東卍を取り戻せるなら。千冬がそれを願うのならば。
千冬の望むことはすべて叶えたかった。なぜかそう、つよく思ったのだった。目的が一致しただけでオレらのあいだには特別な感情など存在しないはずだった。なのにどうして。
電信柱から枝のように伸びた電線が幾筋も、空を横切っていた。視線の先でビルの群れが赤く燃えている。夜明けだ。火をつけたばかりのたばこを足もとに落として踏み潰す。焔はまたたくまに消えた。
次第に明るくなってゆく街を、マンションに向かって歩く足が、気づいたら早足になり、いつのまにか走りだしていた。朝が来てしまう前に帰りたかった。千冬の帰りはいつも明け方だから、帰ってきたときには顔を見て、「おかえり」を言いたかった。千冬はそんなものを少しも望んじゃいないだろうけれど。どうせ一緒にいるのなら、オレの自己満足にもちょっとはつきあってもらってもいいのではないかと思う。
口の端からこぼれた息が頬に当たった。吐き出される自らの息のあたたかさに、オレは思わず安心してしまう。
24.0818
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ふゆとら(22軸)
あたたかな体温に包まれて深く眠り、目覚める朝はいつだって幸福に満ちている。こんなおとなになることを少年の自分は想像していなかっただろうと、千冬は浅く息をはく。
すくなくとも、彼とこうして体を寄せ合う関係になる、なんてことは。
少しでも身動ぎをすると背中に張りついている一虎を起こしてしまいそうで、完全に目がさめても背後から彼に抱かれたまま、千冬はベッドの中でおとなしくしている。寝巻き越しに感じる肌の温度や湿っぽさ、耳もとをなぜる穏やかな呼吸は、一虎が生きて、今ここにいることの証明だった。
胸の前に無防備に落ちている手に、そっと触れた。手の甲を指さきでなぞり、輪郭をたしかめる。あたたかくて、人の手のかたちをしている。おとなの、男の、手だった。
これ、オレのだ。ふと、千冬は思った。この人は、オレのものだ。
ちふゆ。耳朶に、生ぬるい息がかかった。注がれた声は、小さなどうぶつの類が甘えるようなやわらかさをはらんでいた。千冬は首を捻って、そちらに視線を向けた。一虎の瞼はまだほとんど降りていて、長いまつ毛が細やかに震えていた。
一瞬、さっきのは寝言かと思ったのだが、触れていた手が動いて千冬の指に絡まってきたので、彼が目を覚ましたことを知った。
「おはようございます」
体を反転させて、一虎のほうに向いた。一虎は空いているほうの手で目を擦り、額にかかった長い前髪をかき上げた。「眠ぃ」とひとこと、もらす。千冬はくすくすと笑った。
「べつに、まだ寝ていていいんスよ」
休みなんだし、なんの予定もないし。そう続けると、一虎は千冬の肩を引き寄せて、強い力で抱きしめてきた。鼻先が固い鎖骨に当たり、一瞬にして一虎の匂いに包まれる。少し湿った、肌の匂い。無意識のうちに、千冬の体の奥が疼く。
「……一虎くんて、いい匂いしますよね」
にわかに噴き出した欲求を悟られないように、ゆっくりとした調子で言った。
「香水のせいじゃねぇの」
一虎もまたのんびりと返した。千冬は首をふった。一虎のくびすじに頬を押しつけて、思いきり息を吸う。
「じゃなくて、一虎くんそのものの匂い。いい匂い」
一虎はくつくつと笑って、「オマエ、変態かよ」と言った。おかしそうに、愉快そうに、自分相手に言葉を交わしてくれることが千冬にはうれしくて、こちらも力をこめて一虎の体を抱きしめた。
「千冬はなんか、埃っぽい匂いする」
千冬の髪の毛に鼻を埋めて、一虎は言った。
「ええ……、なんスかその悪口」
「外干しした布団の匂い」
すんすん、と鼻を動かした。太陽の匂いがする。一虎はそう、静かに続けた。
「それっていい匂いなんスか」
どうだろ、わかんねぇけど、と一虎は言った。「でも、オレはすき」
一虎の腕の中で、一虎の声を聞いているうちに、頬が熱を帯びてゆく。ゆっくりと上昇する体温に、彼は気づいているだろうか。気づいていたとしたら、なにを思うだろうか。不安になると同時に、わずかな期待が芽生えていることに千冬は呆れた。
「してぇの?」
「えっ」
唐突に、一虎が耳もとに囁いた。くの字に曲げていた千冬の膝のあいだに足を入れ、するすると絡ませてくる。ズボンのすきまから脛をなぜた、足のつまさきがつめたかった。
「しても、いいけど」
視線が絡まる。一虎の瞳は透きとおっていて、かすかに潤んでいるように見えた。
すう、と視線を逸らして、千冬は再び一虎の胸もとに顔を沈めた。んん、と、あいまいな声をもらし、額を鎖骨に擦りつける。
店であつかっている仔猫が似たような動きを、母猫にたいしてしていた。その姿を思いだして、気恥ずかしさにいっそう顔を上げられなくなった。
このままでいい。――ちがう、このままがいい。千冬は思った。口には出せなかったが、膝を割ってきた一虎の足に、自らの足を絡めて、数回深い呼吸をした。
一虎の匂いをかぐ。あたたかい体温に包まれる。幼いころには想像もできなかった未来を、ふたりで生きている。ふたりで、朝を迎える。そうして、やがて夜がおりてくる。そのくりかえしの毎日を、これからもずっと続けてゆく。
すき、を声に乗せることはできなかった。腕いっぱいで一虎を抱きしめて、まるでそれしかできないどうぶつのように。
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あたたかな体温に包まれて深く眠り、目覚める朝はいつだって幸福に満ちている。こんなおとなになることを少年の自分は想像していなかっただろうと、千冬は浅く息をはく。
すくなくとも、彼とこうして体を寄せ合う関係になる、なんてことは。
少しでも身動ぎをすると背中に張りついている一虎を起こしてしまいそうで、完全に目がさめても背後から彼に抱かれたまま、千冬はベッドの中でおとなしくしている。寝巻き越しに感じる肌の温度や湿っぽさ、耳もとをなぜる穏やかな呼吸は、一虎が生きて、今ここにいることの証明だった。
胸の前に無防備に落ちている手に、そっと触れた。手の甲を指さきでなぞり、輪郭をたしかめる。あたたかくて、人の手のかたちをしている。おとなの、男の、手だった。
これ、オレのだ。ふと、千冬は思った。この人は、オレのものだ。
ちふゆ。耳朶に、生ぬるい息がかかった。注がれた声は、小さなどうぶつの類が甘えるようなやわらかさをはらんでいた。千冬は首を捻って、そちらに視線を向けた。一虎の瞼はまだほとんど降りていて、長いまつ毛が細やかに震えていた。
一瞬、さっきのは寝言かと思ったのだが、触れていた手が動いて千冬の指に絡まってきたので、彼が目を覚ましたことを知った。
「おはようございます」
体を反転させて、一虎のほうに向いた。一虎は空いているほうの手で目を擦り、額にかかった長い前髪をかき上げた。「眠ぃ」とひとこと、もらす。千冬はくすくすと笑った。
「べつに、まだ寝ていていいんスよ」
休みなんだし、なんの予定もないし。そう続けると、一虎は千冬の肩を引き寄せて、強い力で抱きしめてきた。鼻先が固い鎖骨に当たり、一瞬にして一虎の匂いに包まれる。少し湿った、肌の匂い。無意識のうちに、千冬の体の奥が疼く。
「……一虎くんて、いい匂いしますよね」
にわかに噴き出した欲求を悟られないように、ゆっくりとした調子で言った。
「香水のせいじゃねぇの」
一虎もまたのんびりと返した。千冬は首をふった。一虎のくびすじに頬を押しつけて、思いきり息を吸う。
「じゃなくて、一虎くんそのものの匂い。いい匂い」
一虎はくつくつと笑って、「オマエ、変態かよ」と言った。おかしそうに、愉快そうに、自分相手に言葉を交わしてくれることが千冬にはうれしくて、こちらも力をこめて一虎の体を抱きしめた。
「千冬はなんか、埃っぽい匂いする」
千冬の髪の毛に鼻を埋めて、一虎は言った。
「ええ……、なんスかその悪口」
「外干しした布団の匂い」
すんすん、と鼻を動かした。太陽の匂いがする。一虎はそう、静かに続けた。
「それっていい匂いなんスか」
どうだろ、わかんねぇけど、と一虎は言った。「でも、オレはすき」
一虎の腕の中で、一虎の声を聞いているうちに、頬が熱を帯びてゆく。ゆっくりと上昇する体温に、彼は気づいているだろうか。気づいていたとしたら、なにを思うだろうか。不安になると同時に、わずかな期待が芽生えていることに千冬は呆れた。
「してぇの?」
「えっ」
唐突に、一虎が耳もとに囁いた。くの字に曲げていた千冬の膝のあいだに足を入れ、するすると絡ませてくる。ズボンのすきまから脛をなぜた、足のつまさきがつめたかった。
「しても、いいけど」
視線が絡まる。一虎の瞳は透きとおっていて、かすかに潤んでいるように見えた。
すう、と視線を逸らして、千冬は再び一虎の胸もとに顔を沈めた。んん、と、あいまいな声をもらし、額を鎖骨に擦りつける。
店であつかっている仔猫が似たような動きを、母猫にたいしてしていた。その姿を思いだして、気恥ずかしさにいっそう顔を上げられなくなった。
このままでいい。――ちがう、このままがいい。千冬は思った。口には出せなかったが、膝を割ってきた一虎の足に、自らの足を絡めて、数回深い呼吸をした。
一虎の匂いをかぐ。あたたかい体温に包まれる。幼いころには想像もできなかった未来を、ふたりで生きている。ふたりで、朝を迎える。そうして、やがて夜がおりてくる。そのくりかえしの毎日を、これからもずっと続けてゆく。
すき、を声に乗せることはできなかった。腕いっぱいで一虎を抱きしめて、まるでそれしかできないどうぶつのように。
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#2 アルプヤルナ(甘い・突風・飲み込む)/ふゆとら(9軸)
朝が来るたび絶望している自分がいる。幾つ夜を乗り越えても、絶望せずに起きられる朝はもう一生訪れないのだろう。そう思うといっそう体と頭が重たくなった。すべては自分が選んで、自分が決めて、進んできた道のはずだった。それなのに、オマエの選択はまちがいだったと、敬愛するあの人に言われている気がして呼吸がしにくかった。毎日。
寝返りをうって、カーテンのすきまからこぼれる朝日から身を逃した。それでも時間と共に部屋はあかるくなっていく。眩しさに目をほそめるが、頭はすぐに覚醒する。なにもかもがオレを裏切る。体も、心も。
「はよ」
コーヒーを飲んでいた一虎くんが、こちらを見て薄くほほ笑んだ。ずいぶんとひさしぶりに顔を合わせた気がする。生活を共にしていても活動時間を共有しているわけではないから、なんだか不思議な心地だった。
「飲む? コーヒー」
問いかけて、オレが頷く前にケトルに水を足しはじめる。ああ、はい。ツーテンポほど遅れて、もはやなんの意味も持たない返事をした。こちらに背中を向けた一虎くんの、うなじがやけに白くてまぶしかった。窓の向こうで、ごうごうと風が唸っているのを聞いた。
「今日、風つよいよ」
「……そうみたいっスね」
「外出て、吹っ飛ばされんなよ」
冗談めかして、一虎くんは言った。カウンターキッチンに立って、オレに白いうなじを見せたまま。
ソファに腰を下ろして、たばこに火をつける。煙をひと口吸ったところでインスタントコーヒーの入ったマグカップが顔の近くに差し出された。斜め上方に一虎くんの顔があった。
「どうも」
マグカップを受け取ると、一虎くんは黙ってオレの隣に座った。彼ひとり分の重みで、ソファが軋んだ。
「顔色悪ぃな」
大丈夫かよ、と無遠慮にオレの顔を覗きこむ。
「ひさしぶりにオマエの顔見たけど」
「オレも、一虎くんと会うの結構久々な気がする」
オレはコーヒーを啜って、わらった。右手の指に挟んだたばこが、ひとすじの煙を天井へと伸ばした。
「会わねぇもんな、オレら。なんだかんだ」
「っスね」
「いっしょにくらしてんのに」
どこか甘ったるさを孕んだ一虎くんの声にオレは気づかないふりをして、味の濃いコーヒーを口に含んだ。
一虎くんがなにを期待しているのかは知らない。けれど、オレには差し出せるものなど一つもなかった。だからなのかときおり、一虎くんが見せる甘さにオレは苛立つのだ。
彼の持つ人間味のようなもの、その生々しい肉っぽさ。
「こんなこと言うのはおかしいかも、だけど」
リビングの窓から、日ざしがさんさんと注いだ。一虎くんの伸ばした足の先にひかりが落ちて、輪郭を淡くふちどる。
「オマエがオレをおぼえていてくれて、正直、うれしかったよ」
ひとりごとのような一虎くんの声が、鈴のピアスの奏でる音に絡んで耳もとを漂った。
迎えに来てくれて、ありがとな。一虎くんは静かにそう続けた。
「……忘れるワケ、ないじゃねっスか」
たばこのフィルターを噛んで、顔を伏せた。前髪が額に垂れて鬱陶しかったけれど、表情を見られたくなかったから、都合がよかった。一虎くんにはオレのなにも知られたくなかった。知らないでいてほしかった。それは彼を守ることにも繋がっているはずだった。オレがどんな顔をしているかなど。
余計な情報を知れば知るほど、彼が組織に狙われる危険は強まる。この件に引きずり込んだ張本人のオレが、今さらなにをしたって手遅れだということは分かっていた。けれど、わずかにでも致命傷を避けることができるのなら、できることはしたかったのだ。
「オレ、たぶん一生アンタを忘れませんよ」
両手でカップを包んで、口もとを緩めた。一虎くんがわずかに頷いた。
「一生、死ぬまで忘れませんから」
そのほうが、アンタだってラクでしょう?――喉まで出かかった言葉を、咄嗟に飲み込んだ。隣に座る一虎くんの横顔が、さみしげに歪んだのを目の端に留めたから。彼がひどくかわいそうないきものに思えたから。
ため息とともに吐き出された煙で、目の前が濁る。
「……もう、出ます」
吸いかけのたばこを一虎くんに渡して、オレは立ち上がった。ソファの背もたれに体を預けた一虎くんが、「ん」と、か細い声で返事をした。そうしてたばこをそのうすい唇に持っていき、やわく咥えた。
――残酷なのかな。
マンションのエレベーターで、重力に体を潰されながら思った。言ったとおり、一虎くんの存在をオレは生涯かけても忘れることができないだろう。ほんとうは、とっとと忘れてしまいたかったのに、そうさせてはくれなかった彼を、オレは憎んでいる。心から。
自動ドアを抜けた途端、突風が吹いてスーツの裾をはためかせた。言いたくて、とうとう言えなかった言葉たちが風に蹴散らされていく。記憶も、こんなふうに消し飛ばしてくれたらよかったのに。
つぎに訪れた風は頬をやわらかく滑って、一歩を踏み出そうとするオレを躊躇わせた。けれど、もう歩みを止めるわけにはいかなかった。
畳む