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とらふゆ書きたい月間です。大人とらふゆ(とら+ふゆ)。なぜ、もし、たらればのはなし。

#とらふゆ



「そういえばなんですけど」
 と、突然千冬が話を切り出した。ローテーブルを挟んで向いに座る千冬の頬はアルコールによってすっかり朱に染まり、目はとろんと眠そうに潤んでいる。手持ち無沙汰なのか、ビールの缶――おそらくはほとんど中身の入っていない――を指さきでぺlこぺこと凹ませるために、金属音が一虎の狭い部屋に不規則に響く。
「うん?」
 ビールの空き缶がさながら卒塔婆のように、テーブルの上に乱立している。一虎は喉によく冷えたビールを流しこみつつ、首を傾けた。千冬はゆるみきった頬をいっそう無邪気にゆるませて、
「一虎くんって、彼女とかつくんないんすか?」
 と、言った。口に含んだあたりめから旨味がじゅわっと染み出して、噛みごたえのあるそれを一虎はゆっくりと咀嚼する。顎を動かすと同時に、千冬の言葉を頭の中で反芻させた。
 彼女とか。彼女“とか”って、なに。ツッコみたい部分ではあったが、ひとまずそれは置いておく。
 千冬は恋バナがすきだ。少年・少女漫画を思春期以前から多く読んで育ってきたからかもしれない。こと恋愛ごとにたいして彼は夢見がちで、少しロマンチストな節もある。
 もういい大人なのにふたりとも恋人と呼べる存在はおらず、だからこそこうしてどちらかの部屋を訪ねて気兼ねなく宅飲みができるわけだが、酒を飲んで程よくアルコールが回ってくると千冬はおもむろにその手の話を始めるのだった。八割くらいは酔っているせいで、翌朝にはきれいさっぱり話の内容を忘れているから余計に、千冬との恋バナは一虎にとっては煩わしかった。
 とはいえ、口に出して文句を言わないのは、くたくたに煮られた鍋の具材、ないし、しみしみのおでんに似たやわい表情の千冬が、見ていてとてもかわいらしかったから。まるで学生同士がするように、明日になったらまた始まる仕事のことなど忘れ去ったように、他愛のない会話を千冬とするのは好んでいたから。
「つくんねーな、そういえば」
「なんでっすかぁ?」
 千冬はからになった缶をテーブルに置くと、人をダメにするソファにダイブした。いつだったかネットで買った人をダメにするソファは、ほんとうに人をダメにするらしかった。千冬の体重を受け止めて彼の体のかたちに沈んでいくソファ、クッションに額を押しつけて千冬は「モテるのにぃ」と、ぼやいた。その口調も姿も、完全にウザ絡みする酔っ払いである。
「そりゃ、ま、千冬よりかはぜんぜんモテますけど」
 自覚はあるので、そう答える。
「一虎くん、女の子すきなくせに」
「それも、まあ。すきですけども」
 一虎はあぐらを掻いたていで、両手を尻の後ろについた。うう、と、千冬が喉の奥でくるしそうな呻き声をあげた。
 部屋は暖房がよく効いて暑いくらいだった。酒のせいもあり、着ているニットの首部分が汗ばんでいる。首とニットのあいだに指を入れて、少しだけ肌を外気に当てた。
「なのに、なんで?」
 千冬が潤んだ目でこちらを見た。その恨めしげな表情に、なんだか咎められているような気分になって一虎は、「なんでって言われても」と笑った。
「いや、モテるけど。女の子もすきだけどさ。でもそれとこれとは、ちょっと、ちがうじゃん」
「それとこれって?」
 質問を重ねてくる千冬に面倒を感じつつも、一虎は「うーん」と唸って天を仰いだ。築古のアパートの天井はいつ見てもくすんでいる。
「女の子すきだし、かわいい子見たらいいな、とか思うよ。ヤリたいとかも思うしふつうに」
 でもさぁ、と、軽くなったビールの缶を持ち上げる。
「恋人にしたい、ってのと、かわいいなすきだなヤリてぇなって思うの、ちげーよ、やっぱ」
「……ふぅん」
 千冬はしぱしぱと目を瞬かせる。散々しつこく問いを投げておいて、今にも瞼が落ちてしまいそうだ。一虎は缶を片手に持ったまま、クッションに沈んでいる千冬の側に寄った。千冬のうろんな視線が、一虎を追う。目と目が合う。千冬の目もとは赤く腫れぼったかった。だいぶ酔っているようすの彼の顔を、一虎は覗きこんだ。
「一虎くん、めっちゃ酒くさいっす」
「……ぶん殴ってやろうか?」
 不快そうに顔をそむけられ、一虎は持っていた缶を指で凹ませた。オマエぜんぜん人のこと言えねーぞ、と思った。
 千冬からはアルコール特有の甘ったるく濃い匂いがした。いつもはこんなふうにやけくそな飲み方をしない千冬だったから、なにかよほど嫌なことでもあったのだろうか。
「そういうオマエだって、恋人とかいねぇじゃん」
 千冬の髪の毛に、指をとおす。予想を裏切って、千冬はその手を振り払わなかった。目を閉じて、「オレは……、」とくぐもった声で言った。
「オレは、一虎くんほどモテねぇから」
「うーん。それはわかる」
「わかんねぇでくださいよ」
「千冬、オマエだいぶ酔ってるよ」
 寝なよもう、と一虎は千冬の頭を撫でた。癖っ毛が皮ふにやわらかく、心地よかった。
 呻きながら、千冬はソファに全体重を預けた。さすがは人をダメにするソファだ、特に酔っ払いには効果覿面だろう。感心しているとやがて規則的でおだやかな寝息が聞こえてきた。すぅ、すぅ、と静かにくり返される呼吸が、部屋を満たす。よく見ると、千冬のくびすじにもうっすらと汗が浮かんでいた。
 リモコンを操作して暖房の設定温度を二度下げた。それから、キッチンに置いているポリ袋を持ってきて、飲み散らかされたテーブルの上のゴミをつぎつぎと放りこんでいった。
 寝息がひとつ聞こえるにつれ、夜がふけていく。千冬はこのまま朝まで寝ているだろう。なんたって体を預けているのは人をダメにするソファだ、この際とことんダメになってくれ。オレの前で暗い。
「もしオマエに恋人とかができたら、オレ泣くかも」
 あり得ないようでいて、あり得ないなどという保証はどこにもない「もし」を想像して、一虎は掴んだ空き缶の生ぬるさを慌てて手放した。
 空っぽになった缶はポリ袋の中に埋もれて、やがて特有の柄と名称は見えなくなった。

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ハッピーヴァレンタイン・デイなとらふゆ(とら+ふゆ?)大人/ペットショップ軸
※走り書きなのでいろいろおかしいところあるかもです。

#とらふゆ



「なあ見て見て、なんかめっちゃ貰っちゃった」
 両手に提げた紙袋をガサガサ言わせながら、一虎が休憩室に入ってくる。シフトの確認のためにパソコンを睨んでいた千冬は入り口をちらと見やると、うわっ、と露骨にいやそうな顔をしてみせた。一虎が長テーブルの上に紙袋を置く。赤や黒や白の紙袋にはそれぞれ、なんと読むのが正解なのか千冬にはわからない英字が並んでいる。中に入っているのだろうチョコレートが箱を開けずとも甘い匂いを休憩室に放ち、昼食を逃してしまった千冬の口内に唾液が滲んだ。
「お客さんと個人間のやり取りしちゃダメですって」
「えー、いいじゃんか、今日くらい」
「アンタにそういうのゆるすと癖になりそうだからダメっす」
「ひでぇ偏見」
 一虎は唇を尖らせたが、紙袋の中を弄る手の動きは止めない。
 今日は2月14日、バレンタイン・デイだ。千冬には昔も今も縁遠いイベントである。女性からバレンタインと銘打って甘いものをプレゼントされたことなど、義理だとしても一度もない。それは一虎も同じだと思っていたのだが、予想をおおいに裏切って彼は客からプレゼントを受け取っていた。
 当然、こちらは店員であちらは客なのだから、個々人でのもののやり取りはトラブルに繋がる恐れもあり、厳禁である。しかし客の中には、ここで買っていった猫や犬のその後の成長過程を報告したり、世話の相談を持ちかけにやってくる者も少なくない。店が愛されて、信頼されている証拠だ。それはよいのだが、相談というのは口実で、明らかに一虎目当てと思われる女性客が一定数、いるのだった。それもそう少なくはない数で。
「なんでアンタがモテるんだろう……」
 千冬はつくづく解せない気持ちで、エンターキーをタンッ、と叩いた。
「そりゃあオレがイケメンだからだろ」
「みんなその顔に騙されてほいほい寄ってくるんすね」
 千冬は頬杖をついて、紙袋から丁寧に包装された箱を一つひとつ取り出す一虎を見た。彼はまあたしかにイケメンと呼ばれる部類に属していると思う。おなじ男として悔しいが、それは千冬も認めていた。
 彼の顔立ちは整っていて、きれいだ。髪の毛を伸ばしていてどことなく中性的な雰囲気をまとっているところも、女性客からの人気を呼ぶのかもしれない。
「あ、これ、すげーうまそう」
 包みをほどき、箱にうつくしく鎮座するチョコレートをじっと見つめる。そんな一虎の横顔は、輪郭がくっきりとしていて、思いのほか睫毛が長かった。はじめて来店した客がちらちらと一虎を盗み見る理由がわかる。
 ――顔は、いいんだよなあ、ほんとうに。
 解せない、と思いながらも、千冬は整った一虎の横顔から目を離せなかった。
「なあ、いっこやるよ」
 一虎が無邪気な笑みを浮かべながら箱を差し出した。そんだけ貰っといてお裾分けは一個だけスか。呆れて言うと、「お客さんからの愛を、オレは真摯に受け取んだよ」と、笑う。
 へらへらと笑い、一虎はチョコレートを一粒、口に含んだ。それに倣って、千冬も、白い縞模様のついたミルクチョコレートを一粒摘み上げた。涎が垂れそうになって、慌てて口に入れる。休憩をとっていないため空腹で仕方がない千冬に、それは麻薬ほどの恍惚を齎した。
「うんまっ」
 思わずそう言うと、一虎は、「もうやんねーよ」と一言、牽制した。ケチだなあ、と千冬はため息をついた。
「一虎くん、もうちょっとだけ優しくなったらきっともっとモテますよ」
「いやあ、これ以上モテても仕様がねーし」
 千冬は椅子の背もたれに背中を押しつけて、一虎を見上げた。蛍光灯の下で、一虎の金色と黒色の混ざった長髪がさらさらと流れる。それを、きれいだな、と千冬は思う。
「チョコレート、もっといっぱい貰えますよ」
「んで、モテない社長にお裾分けしろって?」
「一虎くんがそうしたいんなら」
 一虎は紙袋の中に箱をしまっていく。残りは家に帰ってから、ということだろう。
「社長にはもっといいもんやるよ」
 え、と千冬が虚をつかれていると、一虎はロッカーからきれいに包装された小さな箱を取り出した。
「はい、年中モテないかわいそな社長にプレゼント」
 千冬はぽかんとした表情で、手渡された箱を見つめた。白地の、シンプルで上品な紙に、ご丁寧にリボンまで巻かれていた。
「……なんでいつもそんな憎まれ口ばっか叩くんすか」
 モテないっすよ、そんなんじゃあ。千冬はぶつぶつ言いながらも、甘い香りをまとった箱を両手に抱えた。潰さないように程よく力を抜いて、顔が熱いのを悟られないようにわずかに俯いた状態で。
「べつにモテなくってもいいし」
 一虎の声はじつに軽やかだった。まるで何気ないふうに、さらりと言ってしまう。
 アンタ、ほんと、そういうとこだぞ。千冬はツッコミを入れたい気持ちを抑えて、エクセルの画面をそっと閉じた。シフトの調整は、明日の朝一番に終わらせよう、と思った。

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ウチがぜんぶ攫ってあげる(ドラエマSS)

#SS #ドラエマ


 エマはキスが好きらしい。と、いうことに堅はうすうす気づいていた。キスといっても中学生らしい、小鳥が餌を啄むような軽いくちづけなのだったが、ふたりきりのときはもちろん外出先でも時おりそれをねだるので、さすがの堅も辟易してしまう。

「なに、オマエってキス魔なの」

 クレープ屋の行列に並んでいたエマが堅の手を引き、物欲しそうに上目を使ったので、堅は呆れてそう言った。途端にエマは大きな目をいっそう大きくまん丸にさせて、「そんなわけないし!」と首をふった。

「全然説得力ねーな」
「ちっ、ちがうもん!」
「キス魔じゃないならこんなとこでキスねだんねーだろ」
「だって、……」
 
 と、エマはしおらしく俯いて唇を突き出した。

「放っておいたら堅ちゃん、ほかの女にすぐ攫われちゃいそうなんだもん」

 だからね、ウチが守ってあげてるの。エマは恥ずかしそうに頬をもも色に染めて、そのように言うのだった。

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