#文字書きワードパレット #2 アルプヤルナ(甘い・突風・飲み込む)/ふゆとら(9軸)続きを読む 朝が来るたび絶望している自分がいる。幾つ夜を乗り越えても、絶望せずに起きられる朝はもう一生訪れないのだろう。そう思うといっそう体と頭が重たくなった。すべては自分が選んで、自分が決めて、進んできた道のはずだった。それなのに、オマエの選択はまちがいだったと、敬愛するあの人に言われている気がして呼吸がしにくかった。毎日。 寝返りをうって、カーテンのすきまからこぼれる朝日から身を逃した。それでも時間と共に部屋はあかるくなっていく。眩しさに目をほそめるが、頭はすぐに覚醒する。なにもかもがオレを裏切る。体も、心も。「はよ」 コーヒーを飲んでいた一虎くんが、こちらを見て薄くほほ笑んだ。ずいぶんとひさしぶりに顔を合わせた気がする。生活を共にしていても活動時間を共有しているわけではないから、なんだか不思議な心地だった。「飲む? コーヒー」 問いかけて、オレが頷く前にケトルに水を足しはじめる。ああ、はい。ツーテンポほど遅れて、もはやなんの意味も持たない返事をした。こちらに背中を向けた一虎くんの、うなじがやけに白くてまぶしかった。窓の向こうで、ごうごうと風が唸っているのを聞いた。「今日、風つよいよ」「……そうみたいっスね」「外出て、吹っ飛ばされんなよ」 冗談めかして、一虎くんは言った。カウンターキッチンに立って、オレに白いうなじを見せたまま。 ソファに腰を下ろして、たばこに火をつける。煙をひと口吸ったところでインスタントコーヒーの入ったマグカップが顔の近くに差し出された。斜め上方に一虎くんの顔があった。「どうも」 マグカップを受け取ると、一虎くんは黙ってオレの隣に座った。彼ひとり分の重みで、ソファが軋んだ。「顔色悪ぃな」 大丈夫かよ、と無遠慮にオレの顔を覗きこむ。「ひさしぶりにオマエの顔見たけど」「オレも、一虎くんと会うの結構久々な気がする」 オレはコーヒーを啜って、わらった。右手の指に挟んだたばこが、ひとすじの煙を天井へと伸ばした。「会わねぇもんな、オレら。なんだかんだ」「っスね」「いっしょにくらしてんのに」 どこか甘ったるさを孕んだ一虎くんの声にオレは気づかないふりをして、味の濃いコーヒーを口に含んだ。 一虎くんがなにを期待しているのかは知らない。けれど、オレには差し出せるものなど一つもなかった。だからなのかときおり、一虎くんが見せる甘さにオレは苛立つのだ。 彼の持つ人間味のようなもの、その生々しい肉っぽさ。「こんなこと言うのはおかしいかも、だけど」 リビングの窓から、日ざしがさんさんと注いだ。一虎くんの伸ばした足の先にひかりが落ちて、輪郭を淡くふちどる。「オマエがオレをおぼえていてくれて、正直、うれしかったよ」 ひとりごとのような一虎くんの声が、鈴のピアスの奏でる音に絡んで耳もとを漂った。 迎えに来てくれて、ありがとな。一虎くんは静かにそう続けた。「……忘れるワケ、ないじゃねっスか」 たばこのフィルターを噛んで、顔を伏せた。前髪が額に垂れて鬱陶しかったけれど、表情を見られたくなかったから、都合がよかった。一虎くんにはオレのなにも知られたくなかった。知らないでいてほしかった。それは彼を守ることにも繋がっているはずだった。オレがどんな顔をしているかなど。 余計な情報を知れば知るほど、彼が組織に狙われる危険は強まる。この件に引きずり込んだ張本人のオレが、今さらなにをしたって手遅れだということは分かっていた。けれど、わずかにでも致命傷を避けることができるのなら、できることはしたかったのだ。「オレ、たぶん一生アンタを忘れませんよ」 両手でカップを包んで、口もとを緩めた。一虎くんがわずかに頷いた。「一生、死ぬまで忘れませんから」 そのほうが、アンタだってラクでしょう?――喉まで出かかった言葉を、咄嗟に飲み込んだ。隣に座る一虎くんの横顔が、さみしげに歪んだのを目の端に留めたから。彼がひどくかわいそうないきものに思えたから。 ため息とともに吐き出された煙で、目の前が濁る。「……もう、出ます」 吸いかけのたばこを一虎くんに渡して、オレは立ち上がった。ソファの背もたれに体を預けた一虎くんが、「ん」と、か細い声で返事をした。そうしてたばこをそのうすい唇に持っていき、やわく咥えた。 ――残酷なのかな。 マンションのエレベーターで、重力に体を潰されながら思った。言ったとおり、一虎くんの存在をオレは生涯かけても忘れることができないだろう。ほんとうは、とっとと忘れてしまいたかったのに、そうさせてはくれなかった彼を、オレは憎んでいる。心から。 自動ドアを抜けた途端、突風が吹いてスーツの裾をはためかせた。言いたくて、とうとう言えなかった言葉たちが風に蹴散らされていく。記憶も、こんなふうに消し飛ばしてくれたらよかったのに。 つぎに訪れた風は頬をやわらかく滑って、一歩を踏み出そうとするオレを躊躇わせた。けれど、もう歩みを止めるわけにはいかなかった。畳む 2024.8.19(Mon) 18:20:11 ShortShort,ふゆとら
#2 アルプヤルナ(甘い・突風・飲み込む)/ふゆとら(9軸)
朝が来るたび絶望している自分がいる。幾つ夜を乗り越えても、絶望せずに起きられる朝はもう一生訪れないのだろう。そう思うといっそう体と頭が重たくなった。すべては自分が選んで、自分が決めて、進んできた道のはずだった。それなのに、オマエの選択はまちがいだったと、敬愛するあの人に言われている気がして呼吸がしにくかった。毎日。
寝返りをうって、カーテンのすきまからこぼれる朝日から身を逃した。それでも時間と共に部屋はあかるくなっていく。眩しさに目をほそめるが、頭はすぐに覚醒する。なにもかもがオレを裏切る。体も、心も。
「はよ」
コーヒーを飲んでいた一虎くんが、こちらを見て薄くほほ笑んだ。ずいぶんとひさしぶりに顔を合わせた気がする。生活を共にしていても活動時間を共有しているわけではないから、なんだか不思議な心地だった。
「飲む? コーヒー」
問いかけて、オレが頷く前にケトルに水を足しはじめる。ああ、はい。ツーテンポほど遅れて、もはやなんの意味も持たない返事をした。こちらに背中を向けた一虎くんの、うなじがやけに白くてまぶしかった。窓の向こうで、ごうごうと風が唸っているのを聞いた。
「今日、風つよいよ」
「……そうみたいっスね」
「外出て、吹っ飛ばされんなよ」
冗談めかして、一虎くんは言った。カウンターキッチンに立って、オレに白いうなじを見せたまま。
ソファに腰を下ろして、たばこに火をつける。煙をひと口吸ったところでインスタントコーヒーの入ったマグカップが顔の近くに差し出された。斜め上方に一虎くんの顔があった。
「どうも」
マグカップを受け取ると、一虎くんは黙ってオレの隣に座った。彼ひとり分の重みで、ソファが軋んだ。
「顔色悪ぃな」
大丈夫かよ、と無遠慮にオレの顔を覗きこむ。
「ひさしぶりにオマエの顔見たけど」
「オレも、一虎くんと会うの結構久々な気がする」
オレはコーヒーを啜って、わらった。右手の指に挟んだたばこが、ひとすじの煙を天井へと伸ばした。
「会わねぇもんな、オレら。なんだかんだ」
「っスね」
「いっしょにくらしてんのに」
どこか甘ったるさを孕んだ一虎くんの声にオレは気づかないふりをして、味の濃いコーヒーを口に含んだ。
一虎くんがなにを期待しているのかは知らない。けれど、オレには差し出せるものなど一つもなかった。だからなのかときおり、一虎くんが見せる甘さにオレは苛立つのだ。
彼の持つ人間味のようなもの、その生々しい肉っぽさ。
「こんなこと言うのはおかしいかも、だけど」
リビングの窓から、日ざしがさんさんと注いだ。一虎くんの伸ばした足の先にひかりが落ちて、輪郭を淡くふちどる。
「オマエがオレをおぼえていてくれて、正直、うれしかったよ」
ひとりごとのような一虎くんの声が、鈴のピアスの奏でる音に絡んで耳もとを漂った。
迎えに来てくれて、ありがとな。一虎くんは静かにそう続けた。
「……忘れるワケ、ないじゃねっスか」
たばこのフィルターを噛んで、顔を伏せた。前髪が額に垂れて鬱陶しかったけれど、表情を見られたくなかったから、都合がよかった。一虎くんにはオレのなにも知られたくなかった。知らないでいてほしかった。それは彼を守ることにも繋がっているはずだった。オレがどんな顔をしているかなど。
余計な情報を知れば知るほど、彼が組織に狙われる危険は強まる。この件に引きずり込んだ張本人のオレが、今さらなにをしたって手遅れだということは分かっていた。けれど、わずかにでも致命傷を避けることができるのなら、できることはしたかったのだ。
「オレ、たぶん一生アンタを忘れませんよ」
両手でカップを包んで、口もとを緩めた。一虎くんがわずかに頷いた。
「一生、死ぬまで忘れませんから」
そのほうが、アンタだってラクでしょう?――喉まで出かかった言葉を、咄嗟に飲み込んだ。隣に座る一虎くんの横顔が、さみしげに歪んだのを目の端に留めたから。彼がひどくかわいそうないきものに思えたから。
ため息とともに吐き出された煙で、目の前が濁る。
「……もう、出ます」
吸いかけのたばこを一虎くんに渡して、オレは立ち上がった。ソファの背もたれに体を預けた一虎くんが、「ん」と、か細い声で返事をした。そうしてたばこをそのうすい唇に持っていき、やわく咥えた。
――残酷なのかな。
マンションのエレベーターで、重力に体を潰されながら思った。言ったとおり、一虎くんの存在をオレは生涯かけても忘れることができないだろう。ほんとうは、とっとと忘れてしまいたかったのに、そうさせてはくれなかった彼を、オレは憎んでいる。心から。
自動ドアを抜けた途端、突風が吹いてスーツの裾をはためかせた。言いたくて、とうとう言えなかった言葉たちが風に蹴散らされていく。記憶も、こんなふうに消し飛ばしてくれたらよかったのに。
つぎに訪れた風は頬をやわらかく滑って、一歩を踏み出そうとするオレを躊躇わせた。けれど、もう歩みを止めるわけにはいかなかった。
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