#文字書きワードパレット #3.ヤロ・プペン(別れ・香り・声)/マイキー(14軸)※死・流血表現があります。続きを読む 死の際に、最後まで残るのは声なのだと誰かが言っていた。誰だったっけ? ――さあ、忘れてしまった。 血の匂いが充満した部屋はひっそりと夜に沈んでいた。足もとに転がった人間の輪郭があいまいにぼやけて、それはオレの視界が歪んでいるせいだ。死んでいく直前に男が叫んだ、おそらく大事にしていたのだろう彼の家族の名前をこころの裡で反芻させた。させたが、それは一瞬のことに過ぎなかった。すぐに忘れてしまって、最初の一文字さえも思いだせない。 銃口を床に向けて両腕から力を抜いた。かなしくなるくらいになにも感じなかった。かなしいという感情がすこしも湧かないことがたまらなく、苦しい。 Yシャツの裾で、血のべっとりとついた手を拭った。できるだけ横柄に、なんでもないふうに見えるように。誰にたいしてのポーズなのかはわからない。でもずっと誰かに見られている気がして、冷淡であることを見せつけたくて、そうした。誰のために? かなしみの感情が欠落した代わりのように、苦しいと思うことがこのところは増えた気がする。 誰のことも信じられなくなって苦しい。かつてたしかに信じていた者どもを殺さずにいられなくなったことが苦しい。 ため息をつく。結局は自分のために苦しんでいることが、それ自体が、オレをいっそう苦しませた。けれどすべて罰なのだろう。罪に与えられるべき正当な罰。罰に報いるための行いを、だからオレはしなければならない。 右手をゆっくりとした動作で持ち上げる。銃口をこめかみに押しつけて、ひとさし指を引き金にかけた。鉄の硬さとつめたさを感じた。ふ、とオレは口もとを歪めた。自嘲。 こんなときさえすこしもかなしくなかった。 鼓膜を叩く声があった。声は高かったり低かったり、どちらでもなかったりして、幾重にも重なりオレの意識にふれる。マイキー、と声が名前のかたちをなぞる。マイキー。マイキー! 誰が呼んでいるのか、わからない。わからなくてよかった。だって今こんなにも苦しくて、苦しくて、もうすべて終わりにしようとこころに決めて銃口を自らに突きつけて。 記憶のみなもを波立たせて、声たちは風のように吹いて去っていった。 死の際に、最後まで残るのは声なのだと誰かが言っていた。だから、オレはいよいよこれが最後なのだと知った。 手足の先がつめたくなっていく。破裂音。硝煙の、嘘みたいに甘い香り。誰にも「さようなら」を言わせなかったから、オレだけが言うわけにはいかない。償いのつもりで、でも、ほんとうはちゃんと別れの挨拶をしたかった。 全身が崩れていく。バラバラになる。四肢が捥げて、思考と体が、一切の機能を止める。 ああ。こぼしたつもりの声はどこにも届かずオレのうちがわだけにうっそりと響いた。 ああ、やっと終わりだ。やっと、これで終わるんだ。「うれしいな、」 死の際に、最後まで残るのが声なのだとして、オレの声はいったい誰に残せたんだろう。誰か、一瞬でも思いだしてくれたかな。憎んでくれても構わなくて、ソイツの記憶にすこしでも存在していられていたら。……ちょっと、都合がよすぎるかな。わがままかな。ごめんね。24.0824畳む 2024.8.24(Sat) 05:14:21 ShortShort,その他
#3.ヤロ・プペン(別れ・香り・声)/マイキー(14軸)
※死・流血表現があります。
死の際に、最後まで残るのは声なのだと誰かが言っていた。誰だったっけ? ――さあ、忘れてしまった。
血の匂いが充満した部屋はひっそりと夜に沈んでいた。足もとに転がった人間の輪郭があいまいにぼやけて、それはオレの視界が歪んでいるせいだ。死んでいく直前に男が叫んだ、おそらく大事にしていたのだろう彼の家族の名前をこころの裡で反芻させた。させたが、それは一瞬のことに過ぎなかった。すぐに忘れてしまって、最初の一文字さえも思いだせない。
銃口を床に向けて両腕から力を抜いた。かなしくなるくらいになにも感じなかった。かなしいという感情がすこしも湧かないことがたまらなく、苦しい。
Yシャツの裾で、血のべっとりとついた手を拭った。できるだけ横柄に、なんでもないふうに見えるように。誰にたいしてのポーズなのかはわからない。でもずっと誰かに見られている気がして、冷淡であることを見せつけたくて、そうした。誰のために?
かなしみの感情が欠落した代わりのように、苦しいと思うことがこのところは増えた気がする。
誰のことも信じられなくなって苦しい。かつてたしかに信じていた者どもを殺さずにいられなくなったことが苦しい。
ため息をつく。結局は自分のために苦しんでいることが、それ自体が、オレをいっそう苦しませた。けれどすべて罰なのだろう。罪に与えられるべき正当な罰。罰に報いるための行いを、だからオレはしなければならない。
右手をゆっくりとした動作で持ち上げる。銃口をこめかみに押しつけて、ひとさし指を引き金にかけた。鉄の硬さとつめたさを感じた。ふ、とオレは口もとを歪めた。自嘲。
こんなときさえすこしもかなしくなかった。
鼓膜を叩く声があった。声は高かったり低かったり、どちらでもなかったりして、幾重にも重なりオレの意識にふれる。マイキー、と声が名前のかたちをなぞる。マイキー。マイキー! 誰が呼んでいるのか、わからない。わからなくてよかった。だって今こんなにも苦しくて、苦しくて、もうすべて終わりにしようとこころに決めて銃口を自らに突きつけて。
記憶のみなもを波立たせて、声たちは風のように吹いて去っていった。
死の際に、最後まで残るのは声なのだと誰かが言っていた。だから、オレはいよいよこれが最後なのだと知った。
手足の先がつめたくなっていく。破裂音。硝煙の、嘘みたいに甘い香り。誰にも「さようなら」を言わせなかったから、オレだけが言うわけにはいかない。償いのつもりで、でも、ほんとうはちゃんと別れの挨拶をしたかった。
全身が崩れていく。バラバラになる。四肢が捥げて、思考と体が、一切の機能を止める。
ああ。こぼしたつもりの声はどこにも届かずオレのうちがわだけにうっそりと響いた。
ああ、やっと終わりだ。やっと、これで終わるんだ。
「うれしいな、」
死の際に、最後まで残るのが声なのだとして、オレの声はいったい誰に残せたんだろう。誰か、一瞬でも思いだしてくれたかな。憎んでくれても構わなくて、ソイツの記憶にすこしでも存在していられていたら。……ちょっと、都合がよすぎるかな。わがままかな。ごめんね。
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