No.12

号泣する準備はできていた

日向と影山/ひなかげ

号泣する準備はできていた / ekuni kaori



 影山の目がすき。あいつの目がおれを見つめるときに、体がビッて緊張する感じ、あの痛くて気持ちいい感じが、なんかすき。おれってマゾなのかな? だとしたらすげーいやだけど。でも。
 最初はただの口の悪ぃ怖ぇーやつだと思ってたし、鋭い視線はおれを威嚇するものでしかなかったけれど、だんだんと、ゆっくりゆっくり時間をかけてだけど、敵を睨む目じゃなくなっていった。
 まっすぐにおれを見るそれは、おれを信じてくれている目だった。おれに、ここにいていいって言ってくれている優しい目だった。そう、影山はたしかに優しい目をしていた。
「……なんだよ」
 不機嫌そうな声も顔もいつもどおり絶好調な影山くんの目を、おれは見つめている。まだ誰もいない体育館は静かで、ときどき、風が樹の枝を揺らす音が聞こえるくらい。
 しん、と静まっているコートの上に向かい合って、おれは影山から目を逸らせなかった。
 影山が、今すぐにでも思いっきりボールを打ちたがっていることは知っていた。でもおれが見つめるから、影山もおれを見つめ返す。睨んでいるように思えるし、たぶん実際に、本人は睨んでるつもりなんだと思う。中三ではじめて会ったとき、高校に来て再開したとき。切長の目が怖かった。その目はおれを威嚇して、拒絶していた。隣にいることさえもゆるさなかった。今はちがう。おれの勘違いでなければ。
「影山の目がすきだ」
 おれが言うと、影山は露骨にいやそうな顔をした。
「急になに言ってんだ」
「急じゃない。ずっと思ってた」
 あ? 影山の低い声が耳の奥に届く。
「キモいからやめろ」
「やめない」
 そうして、両手を影山の頬へ伸ばす。思いがけず、それはむにむにとやわらかかった。
 男の頬っぺたを触るなんてはじめての経験で、でもおれはどうしてかこいつにそうしたいと思った。おれの両手に頬を挟まれて、影山は目をまんまるにさせた。暴言を吐かれて、すぐにぶん殴られる覚悟をしていたのに、影山は意外にもまんまるの目でおれを見ているだけだった。
「いいの? 影山」
 そんなふうにおとなしくしてたら、おれ、おまえにちゅーしちゃうかもよ。
 ちゅーなんておとなだけがするものだと思っていた。でも今、もうちょっと頑張ってつま先立ちになって首を伸ばせば、もしかしたら、影山とちゅーできちゃうかもしれない。呆気なくおとなの階段のぼっちゃうかもしれない。
 おとなになるって、こんなにかんたんでいいの?
「おい」
 影山がゆっくりと口をひらく。「なんの真似だボゲ」
 離れろ、と影山は平たい調子で言う。でも、自分からは動かなかった。殴りつけたりもしなかった。だから、ゆるされてるのかなと思ってしまう。こいつはおれに勘違いばかりさせるから、困る。
「ごめん」
 手を離した。つま先立ちの不安定な姿勢をなおして、踵を床に下ろす。
「オメー、次やったらコロスからな」
 うん、とおれは頷いて、ごめんともういちど、言った。もちろんころされたくはないけれど、殴られたり突き放されたりするよりは、ましな気がした。やっぱりおれってマゾなのかもしれない。
 影山はシューズを鳴らして、後ずさってゆく。手に持っていたボールが床に叩きつけられ、影山の手に戻る。タンッ、タンッ、と気落ちのいい音が響く。
「さっさとやんぞ。昼休み終わっちまうだろが」
「……うん!」
 おれは前を向く。影山に視線を投げる。見つめる。影山がおれを見つめ返す。そこにいろと視線が言っている。えらそうに。でも、悪い気はしない。
 ボールは影山の手から離れて、天へとのぼる。バシンっと鋭い音とともに、てのひらがその球体を押し出した。

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