号泣する準備はできていた日向と影山/ひなかげ号泣する準備はできていた / ekuni kaori続きを読む 影山の目がすき。あいつの目がおれを見つめるときに、体がビッて緊張する感じ、あの痛くて気持ちいい感じが、なんかすき。おれってマゾなのかな? だとしたらすげーいやだけど。でも。 最初はただの口の悪ぃ怖ぇーやつだと思ってたし、鋭い視線はおれを威嚇するものでしかなかったけれど、だんだんと、ゆっくりゆっくり時間をかけてだけど、敵を睨む目じゃなくなっていった。 まっすぐにおれを見るそれは、おれを信じてくれている目だった。おれに、ここにいていいって言ってくれている優しい目だった。そう、影山はたしかに優しい目をしていた。「……なんだよ」 不機嫌そうな声も顔もいつもどおり絶好調な影山くんの目を、おれは見つめている。まだ誰もいない体育館は静かで、ときどき、風が樹の枝を揺らす音が聞こえるくらい。 しん、と静まっているコートの上に向かい合って、おれは影山から目を逸らせなかった。 影山が、今すぐにでも思いっきりボールを打ちたがっていることは知っていた。でもおれが見つめるから、影山もおれを見つめ返す。睨んでいるように思えるし、たぶん実際に、本人は睨んでるつもりなんだと思う。中三ではじめて会ったとき、高校に来て再開したとき。切長の目が怖かった。その目はおれを威嚇して、拒絶していた。隣にいることさえもゆるさなかった。今はちがう。おれの勘違いでなければ。「影山の目がすきだ」 おれが言うと、影山は露骨にいやそうな顔をした。「急になに言ってんだ」「急じゃない。ずっと思ってた」 あ? 影山の低い声が耳の奥に届く。「キモいからやめろ」「やめない」 そうして、両手を影山の頬へ伸ばす。思いがけず、それはむにむにとやわらかかった。 男の頬っぺたを触るなんてはじめての経験で、でもおれはどうしてかこいつにそうしたいと思った。おれの両手に頬を挟まれて、影山は目をまんまるにさせた。暴言を吐かれて、すぐにぶん殴られる覚悟をしていたのに、影山は意外にもまんまるの目でおれを見ているだけだった。「いいの? 影山」 そんなふうにおとなしくしてたら、おれ、おまえにちゅーしちゃうかもよ。 ちゅーなんておとなだけがするものだと思っていた。でも今、もうちょっと頑張ってつま先立ちになって首を伸ばせば、もしかしたら、影山とちゅーできちゃうかもしれない。呆気なくおとなの階段のぼっちゃうかもしれない。 おとなになるって、こんなにかんたんでいいの?「おい」 影山がゆっくりと口をひらく。「なんの真似だボゲ」 離れろ、と影山は平たい調子で言う。でも、自分からは動かなかった。殴りつけたりもしなかった。だから、ゆるされてるのかなと思ってしまう。こいつはおれに勘違いばかりさせるから、困る。「ごめん」 手を離した。つま先立ちの不安定な姿勢をなおして、踵を床に下ろす。「オメー、次やったらコロスからな」 うん、とおれは頷いて、ごめんともういちど、言った。もちろんころされたくはないけれど、殴られたり突き放されたりするよりは、ましな気がした。やっぱりおれってマゾなのかもしれない。 影山はシューズを鳴らして、後ずさってゆく。手に持っていたボールが床に叩きつけられ、影山の手に戻る。タンッ、タンッ、と気落ちのいい音が響く。「さっさとやんぞ。昼休み終わっちまうだろが」「……うん!」 おれは前を向く。影山に視線を投げる。見つめる。影山がおれを見つめ返す。そこにいろと視線が言っている。えらそうに。でも、悪い気はしない。 ボールは影山の手から離れて、天へとのぼる。バシンっと鋭い音とともに、てのひらがその球体を押し出した。畳む#ひなかげ 2024.5.20(Mon) 11:20:37 ShortShort,その他
日向と影山/ひなかげ
号泣する準備はできていた / ekuni kaori
影山の目がすき。あいつの目がおれを見つめるときに、体がビッて緊張する感じ、あの痛くて気持ちいい感じが、なんかすき。おれってマゾなのかな? だとしたらすげーいやだけど。でも。
最初はただの口の悪ぃ怖ぇーやつだと思ってたし、鋭い視線はおれを威嚇するものでしかなかったけれど、だんだんと、ゆっくりゆっくり時間をかけてだけど、敵を睨む目じゃなくなっていった。
まっすぐにおれを見るそれは、おれを信じてくれている目だった。おれに、ここにいていいって言ってくれている優しい目だった。そう、影山はたしかに優しい目をしていた。
「……なんだよ」
不機嫌そうな声も顔もいつもどおり絶好調な影山くんの目を、おれは見つめている。まだ誰もいない体育館は静かで、ときどき、風が樹の枝を揺らす音が聞こえるくらい。
しん、と静まっているコートの上に向かい合って、おれは影山から目を逸らせなかった。
影山が、今すぐにでも思いっきりボールを打ちたがっていることは知っていた。でもおれが見つめるから、影山もおれを見つめ返す。睨んでいるように思えるし、たぶん実際に、本人は睨んでるつもりなんだと思う。中三ではじめて会ったとき、高校に来て再開したとき。切長の目が怖かった。その目はおれを威嚇して、拒絶していた。隣にいることさえもゆるさなかった。今はちがう。おれの勘違いでなければ。
「影山の目がすきだ」
おれが言うと、影山は露骨にいやそうな顔をした。
「急になに言ってんだ」
「急じゃない。ずっと思ってた」
あ? 影山の低い声が耳の奥に届く。
「キモいからやめろ」
「やめない」
そうして、両手を影山の頬へ伸ばす。思いがけず、それはむにむにとやわらかかった。
男の頬っぺたを触るなんてはじめての経験で、でもおれはどうしてかこいつにそうしたいと思った。おれの両手に頬を挟まれて、影山は目をまんまるにさせた。暴言を吐かれて、すぐにぶん殴られる覚悟をしていたのに、影山は意外にもまんまるの目でおれを見ているだけだった。
「いいの? 影山」
そんなふうにおとなしくしてたら、おれ、おまえにちゅーしちゃうかもよ。
ちゅーなんておとなだけがするものだと思っていた。でも今、もうちょっと頑張ってつま先立ちになって首を伸ばせば、もしかしたら、影山とちゅーできちゃうかもしれない。呆気なくおとなの階段のぼっちゃうかもしれない。
おとなになるって、こんなにかんたんでいいの?
「おい」
影山がゆっくりと口をひらく。「なんの真似だボゲ」
離れろ、と影山は平たい調子で言う。でも、自分からは動かなかった。殴りつけたりもしなかった。だから、ゆるされてるのかなと思ってしまう。こいつはおれに勘違いばかりさせるから、困る。
「ごめん」
手を離した。つま先立ちの不安定な姿勢をなおして、踵を床に下ろす。
「オメー、次やったらコロスからな」
うん、とおれは頷いて、ごめんともういちど、言った。もちろんころされたくはないけれど、殴られたり突き放されたりするよりは、ましな気がした。やっぱりおれってマゾなのかもしれない。
影山はシューズを鳴らして、後ずさってゆく。手に持っていたボールが床に叩きつけられ、影山の手に戻る。タンッ、タンッ、と気落ちのいい音が響く。
「さっさとやんぞ。昼休み終わっちまうだろが」
「……うん!」
おれは前を向く。影山に視線を投げる。見つめる。影山がおれを見つめ返す。そこにいろと視線が言っている。えらそうに。でも、悪い気はしない。
ボールは影山の手から離れて、天へとのぼる。バシンっと鋭い音とともに、てのひらがその球体を押し出した。
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