Ⅳ.
太陽のひかりを浴びてきらきらと輝く海が、右手側に果てしなく続いている。波は穏やかで、どこまで行っても目が覚めるほどに青い。
頬を潮風が撫で、バブとゼファー――オレとケンチンそれぞれの愛機の排気音が耳を滑っていく。斜め前を走るケンチンの後ろ姿を追って、オレはグリップを強く握る。
最後にこんなふうに、ケンチンとバイクを流したのはいつだっただろうか。――ケンチンだけじゃない。三ツ谷とは。パーちんとは。場地とは。一虎とは? 創設メンバーみんなで走ったのは、もう十二年以上も前の話。東卍との縁を切ったオレに、むかしを懐かしむ資格なんてないのかもしれないけれど。でも、今こうしてバイクに乗って走っていると、どうしようもなくむかしを恋しく思ってしまう。思っても仕方のないことだと、わかっていても。
前方を走るケンチンがふり返って、オレにアイコンタクトをした。少し休憩をするようだった。オレは頷いて、ケンチンがゆっくりと減速していくのに倣って路肩にバイクを寄せていった。
*
「よし、じゃァエンジンかけてみっか」
開店前の店の前。メンテを終え、汚れをきれいに拭き取られたバブがそこにあった。春の朝日を受けて、機体がきらきらと輝いている。
ケンチンに促されて、オレはシートに跨ってみる。ああ、この感じ――オレは強くグリップを握りしめた。この感じだ。この感じを、オレは覚えてる。体に染みついて、忘れることなんてできなかった。
手渡されたキーを受けとって鍵穴に差しこみ、ゆっくり捻ると、快い排気音が響いた。腹の底が疼くような感覚に、気分が高揚する。
「――動いた!」
オレはケンチンとハイタッチをした。自然と、笑みがこぼれていた。
「よかったな」
ケンチンもうれしそうに顔をほころばせた。オレは頷いて、「さすがだよな、オレら」と笑った。
貸してもらったつなぎは油の染みで汚れ、まるで一端の整備士みたいだった。ケンチンは似合うけど、オレはどうなんだろうなあ、と考える。風が通りすぎ、オレは瞬きをした。
「ようし、これでいつでも大丈夫だな、ツーリング」
「うん!」
オレは弾んだ声を抑えきれなかった。
まさか、ほんとうにツーリングに行くことができるなんて想像もしていなかった。指は、バイクのどこをどう弄ればいいのか、ちゃんと覚えていた。ぜんぶ、なにもかも忘れたと思っていたのに。忘れようとしていたのに。
オレは油の匂いの染みついた手を眺めて、ぎゅっ、と拳を握った。
*
日をたっぷり浴びた砂浜を踏んで、オレらは波打ち際に降りていった。穏やかな波が、何度も、何度も、くり返し打ち寄せては引いていく。向かってくる潮風が髪の毛に絡まって、頬にくすぐったかった。
隣を歩くケンチンの指が、オレの指にふれる。まるで当然みたいに、オレらは手を繋いで歩いた。今までもずっと、そうしてきたように。それがおかしくて息だけで笑うと、ケンチンは「なんだよ」と照れた顔で言った。
指と指とを絡めて歩く。ほんのりとしたあたたかさが指さきに宿って、胸の奥がなぜか、つん、と痛んだ。なんの痛みなのかわからなかったけれど、きっと、愛おしいっていう感情のためだと思った。
ケンチンはオレと手を繋いだまま、ゆるやかな砂浜の傾斜を下ってゆく。つまさきが波にふれ、ブーツを濡らす。オレらは一瞬、顔を見合わせて、それから秘密を交わすように笑って、履いていたブーツを脱いだ。
「うっわ、冷て!」
ケンチンは裸足の足をすっかり波に浸して、顔をくしゃくしゃにして笑った。「さすがにまだ冷てぇなー!」。手を離し、ズボンの裾を捲り上げる。日ざしが、ケンチンの健康的な色とかたちをした足を照らした。
「オマエも、ほら」
オレの数歩先、踝まで海に浸かったケンチンは、オレに手を伸ばした。ほら、来いよ。そう、その手が言っていた。オレは頷いて、ズボンを捲り、打ち寄せる波に足を踏み入れた。
春のはじまりの海は、まだひどく冷たくて、オレも思わず「冷た!」と悲鳴を上げてしまった。それを見てケンチンは笑っている。そして、オレに向かって蹴りをくり出し、わざと水をかけてきた。飛沫が容赦なく服を濡らした。
「うわっ」
腹から膝にかけて、海水が滴った。
「ははっ、マイキーびっしょびしょ」
「ちょっ……、ケンチンのせいじゃん!」
ムカついて、オレも水を蹴り飛ばす。びしゃっと音を立てて大粒のしずくがケンチンの頬にかかった。
「うわしょっぺぇ!」
「あはははっ」
潮の味に顔をしかめるケンチンを見て、オレは声を上げて笑った。こんなふうに大声で笑うなんて、いつぶりのことだろう。
オレらはしばらくそうして、ガキがするみたいな遊びをつづけた。
海から出たときには、ふたりともすっかりびしょ濡れになっていた。オレも、マイキーも、髪の毛先まで海水に濡れて、服の裾から絶えず水滴がしたたっている。
「やっべぇ濡れたな」
「ケンチンが悪いんだかんね」
「オマエも同罪だろーが」
「先にやったのはケンチンじゃん」
裸足の足で砂を踏み、マイキーは、文句を言いつつもゆったりと笑っている。楽しそうで、気の抜けたようすのマイキーの表情に、安堵する。マイキーのこういう表情をまた見ることができたことが、嬉しかった。そして、マイキーのこんな顔をずっと見たいと思っていた自分の気持ちに、そのときはじめて気がついた。
D&Dで寝泊まりしているあいだ、マイキーが見せる笑顔は、たぶん、心からのものではなかった。オレやイヌピーへの遠慮と、かつての東卍に対する罪悪感。変わっちまった自分のこと。そういった煩わしさから解放されて、やっといま、心からの笑顔を見せてくれている。それが、たまらなく嬉しい。
オレにも、オマエにそんな顔をさせることができるんだな。
到着した時より少し傾いた日が、マイキーの、すんなりと伸びた白い足に差している。昔よりずいぶんと筋肉の落ちた足だ。まっすぐなふくらはぎと、骨の筋が浮かぶ脛を見ていると、マイキーは恥ずかしそうにズボンの裾を下ろした。
「……あんま、見んなヨ」
マイキーの体は中坊のころに比べてずっとちいさくなって、そのちいささを感じるたび、胸が音を立てて軋んだ。マイキーの手首を掴み、軽く引っ張った。すとん、と従順にオレの胸に預けてくる体を、思いきり抱きしめる。
シャツ越しに背中を撫でて、背骨の感触をたしかめてみる。肩甲骨、肩、うなじ。するすると指を動かして、銀色に近い白髪の襟足にふれる。そこに、二度と消えることのない刺青があることが、ひどくかなしかった。指さきで刺青を何度もなぞり、「これ、一生残るんだよな」と、呟く。マイキーはオレの胸に頬を寄せて、
「ケンチンのだって、そうじゃん」
と、ちいさく笑った。そしてオレのこめかみに刻まれた龍を人差し指で触った。
「しかも三ツ谷とオソロだしさあ」
そんなん、一生モンのネタでしかないじゃん。マイキーは心底おかしそうに、ころころと笑う。マイキーの口からかつての仲間の名前が出てきたのを聞いたのは、再会してはじめてだった。
「……みんな、元気してんのかな」
マイキーの声が、耳の奥にせつなく響いた。
「なあ、」
と、オレは言った。
なあ、マイキー。こっちの世界には、みんないっから。元気にやってっから。
だからさ、早く、こっち側に戻ってこいって。
「ケンチンの体、あったかい」
マイキーはオレの背中に腕をまわして、ぎゅう、と抱きついた。オレの言葉への返事は、なかった。
「……寒くなってきたな」
濡れたシャツがべったりと体に張りついて、どんどん体温を奪っていっていた。
「寒ぃ。シャワーしたい」
「どっか寄れるとこ行くか」
体を、離す。ゆっくりと離れてゆく体温が、心もとなかった。一時でも離れてしまえば、マイキーはまたすぐにオレの前から姿を消してしまいそうで、怖かった。マイキーの目を見つめる。まっ黒で、揺らぎがなくて、でもひどくさみしそうな瞳。
オレはマイキーと手を繋ぐと、ブーツを拾い上げて砂浜を上っていった。背中に波の寄せる音が響いていた。
*
そのモーテルは、砂浜から軽く走ってすぐの場所にあった。夏場に来る海水浴客のためのものだろうけれど、おそろしく寂れていて、見るからに古い建物だとわかる。
「とりあえず、シャワー浴びれりゃいーよな」
スマホのマップアプリに視線を落とし、この付近に他にホテルのようなものがないことを確認してオレは言った。マイキーは側でこくこくと頷いている。一刻も早く熱いシャワーを浴びたいようすだった。
海辺のモーテルは、どこのそれも大概そうなのだろうけれど、潮風に晒されて壁や門扉はすっかり錆びついていた。手入れのなされていない小ぢんまりとした庭があり、植えられている植物たちも覇気を失っている。いやここ、そもそもやってんのか? と不安になるくらいのくたびれ具合だったけれど、マイキーが寒さに震えているから、急いで出入り口のドアを開けた。カラカランッ、とドアに取りつけられた鈴の音がフロアに響いた。うちと一緒かよ、と苦笑してしまう。入り口を入ってすぐに受付のカウンターがあり、じいさんとおっさんのあいだ、くらいの男が新聞を読んでいた。オレらの存在に気づくと、目を上げた。
「いらっしゃい」
煙草で焼けた声で男は言った。新聞をたたんでカウンター下に仕舞い、バインダーに挟んだ一枚の紙を示した。
オレはカウンターに近づいて、その紙を見た。料金表のようだった。
「一泊ならお一人、四〇〇〇円です。食事はつかないので、各自ご自由に」
正直、シャワーを借りられたらそれでよかったのだけど、そういうわけにもいかないのだろう。オレはマイキーをふり返って、「今夜、泊まってくだろ」と問うた。マイキーは黙って頷いた。
必要事項を紙に書いて、鍵を受け取る。おっさんはすぐにまた新聞を読み始めて、オレやオレの後ろにいるマイキーの存在に、さっぱり興味がないようだった。
エレベーターがなかったので二階の部屋までは階段で上がっていく。内装は全体的にシンプルで、よく言えばこざっぱり、悪く言えばサービス精神がない、そんな印象を受けた。
「ケンチン、さむい」
ぷるぷると震えているマイキーがオレの手を掴んだ。冷えきった手だ。さすがにふざけすぎたことを悔やんだけれど、日帰りの予定が一泊旅行になったのは喜ぶべきかもしれない。想定より多くの時間をマイキーと一緒にいられるのだ。
「悪かったよ」
「……ちゃんと責任取れよ」
「なんだよ、責任て」
オレは笑って、部屋のドアを開ける。ビジネスホテルと同じくらいの広さの部屋に、シングルベッドが二つ、置いてある。それからテレビと、冷蔵庫、簡易なつくりのテーブルと、椅子が二脚。
正面には大きな窓があり、その向こうに海が見えた。なかなかいい部屋だと思った。
「風呂場、ここか」
ドアのすぐ横に、ユニットバスがあった。オレはマイキーの背中を押して、「ほら、さっさとシャワー浴びてこい」と促した。マイキーがシャワーを浴びているあいだ、濡れてしまった下着の替えをどこかで調達してくる必要があった。――が、マイキーはじっとオレの顔を見つめたまま動かなかった。
「マイキー?」
「ケンチンも一緒に入ろ」
「は?」
突然のマイキーの申し出に、一気に目が丸くなった。なんて? 聞き返そうと思ったけれど、マイキーは自分の服ではなく、オレの服に手をかけて、いそいそと脱がし始めた。
「ばっ……! ちょっと待て!」
「ほらほら、ケンチンも体冷えてんじゃん」
つめたい手のひらで腹を触られて、不覚にも動揺した。つ、とマイキーの指が滑り、古い傷痕をなぞる。むかし――中坊のころに負った刺し傷が、そこにあった。
「……ここ、まだ痛ぇ?」
神妙な声音で、問う。オレは脱がされかけている服を押さえて、首をふった。
「なんともねぇよ」
むかしは疼くときもたしかにあったけれど、いまさら、痛いも何もない。存在すら忘れていたところだ。なのに、マイキーにふれられたことで、あのときの出来事が鮮明にフラッシュバックする。中三の夏、武蔵祭りの日の夜。ひどい雨が降っていたこと。キヨマサに刺されて、みっともねぇけど地面に倒れちまったこと。タケミっちがそんなオレを担いで、助けてくれたこと。
「あのときさ、」
傷を撫でながら、マイキーは懐かしそうに言った。
「あのとき、ケンチンが死ななくてホントによかった」
まるで昨日起こったことのように言うから、どう反応してよいのか、わからなくなっちまう。
「東卍のみんなにもずっと秘密にしてたけどさ、ケンチンが助かったって聞いて、オレ、すげえ泣いたんだ」
深夜の病院の隅っこで、声、殺して。助かってよかった、生きててよかった、って。
「……生きててくれてよかった、ケンチン」
マイキーはオレの傷痕に頬をすり寄せた。ひんやりとして、でもやわらかな頬だった。
マイキーの肩に手を置いて、オレはなにも言えないでいた。つめたい体の、その奥深くにあるあたたかな温度を手のひらに感じた。
「……そんな簡単に死ぬかよ」
オレが言うと、マイキーは首をふった。そして、「死ぬよ」と、呟いた。
「人なんて、みんな呆気なく死ぬ」
ひとりごとのような、感情の読めない声で、マイキーは言った。
いまのマイキーがいる世界では、人の死なんて日常のものなのだろう。そんな世界に、これからさきもコイツは、いつづけるだろうか。
オレは服を押さえていた手の力をゆるめた。マイキーの視線が持ち上がり、オレを見つめた。シャツを脱ぎ、マイキーの頬を両手で挟むと、間髪入れずにキスをした。
ケンチンのつめたい唇が、オレの唇にふれる。まるで体温を分けあうみたいに、ふれては離れて、離れてはふれて。何度かそれをくり返したとき、ふいにケンチンの舌が唇を舐めた。皮ふとはちがう感触とあたたかさに、びっくりして、一瞬、体が怯んだ。
「……大丈夫か?」
ん、と頷いて、今度はオレからキスをする。唇のすき間から舌を差し入れると、ケンチンは拒むことなくオレを受け入れてくれた。舌と舌とが絡んで、甘ったるい水音が耳を滑った。胸の奥が、きゅん、と鳴る。もっとほしい、とつよく思った。もっと、ケンチンがほしい。
ケンチンの手がオレの服の裾から中に入ってきて、腹を、腰を、背中を、まさぐった。手のひらのぬるさに肌が粟立つ。でも、すごく気持ちがいい。もっと触ってほしかった。
するりとシャツを脱いで上半身を晒した。ケンチンの手がオレの肌の上を這って、あちこちにふれる。深くくちづけながら触り合っているうちに、下半身は自然に、どんどんと熱くなっていった。ケンチンのそれにズボン越しに触ると、くっきりとした輪郭が伝わってきた。
「ケンチン、」
指で、ケンチンのそこをなぞる。上下させて、煽るみたいに。ケンチンがオレの手首を掴んで、ベッドのほうに引っ張った。まっさらでピンと張られたシーツに押し倒され、口の中を
「マイキー」
キスのあい間に、ケンチンが濡れた声でオレを呼ぶ。その声が、ひどく愛しかった。
冷えきっていたはずの体はすっかり熱を持っていて、ケンチンの体も同じように熱い。下着ごとズボンを脱がされて、剥き出しになったオレ自身をケンチンの手が包んだ。とっくに勃っているそれはケンチンの手の中でますます硬くなってしまって、オレらは目を合わせて笑った。
「オマエのコレ、正直な」
「うるさいなあ……」
ケンチンの股間を膝でさすって、いつの間にか存在感を増しているそれに、こんなんお互い様じゃん、と思う。
ケンチンは自分でズボンを脱ぎ、硬いそれをオレの太ももに押しつけた。目を瞑ってそのかたちを感じる。と、指が尻を辿って、入り口にふれた。先が、まだ充分にほぐれていない中にゆっくりと入ってきて、オレは唾を飲んだ。きつく目を閉じる。塊が、押し入ってくる感触。今まで知らなかったその感触に、思わず全身が強張った。それを宥めるみたいに、ケンチンはかたほうの手でオレの髪を撫でた。んん、と喉の奥で声がもれた。その声が、自分のものとは思えないくらい濡れていて、恥ずかしい。
するりと指を引き抜かれて、穴の周辺をなぞられる。くすぐったくて身を捩れば、ケンチンはふっと笑った。その笑い方がひどく、泣きたくなるくらいにやさしくて、どうしようもなく胸が痛んだ。
「……けんちん」
オレは舌ったらずに甘えた声を放った。ケンチンの首に腕をまわして、ぎゅうっと抱きしめる。熱い体。芯に宿った温もりに、ずっとこうしていたいと強く思った。そう思えば思うほど胸が熱く痛くなって、目の表面に水が溜まってゆくのを感じた。じんわりと滲んだ涙がこぼれて、頬を滑る。――なんだか、ケンチンと再会してからオレは泣いてばかりいる気がする。梵天にいるあいだは凍りついたみたいに動かなかった感情が、今さらになってぐらぐらと不安定に揺れ、溶け出そうとしていた。
ケンチンはオレの髪を撫でて、キスを落とした。そのやわらかな動きに、涙がぽろぽろとあふれた。
「ケンチン、好きだよぉ」
強くつよく抱きしめて、ガキがそうするみたいに縋りついて、オレは泣いた。ケンチンは何度もオレの髪を撫で、くちづけてくれた。
好きだ、と思った。ほんとうに、心からケンチンが好きだ。ずっとここにいたいよ、ケンチンの側にいたいよ。
「……ずっといっしょにいてほしい」
オレの声はか細くて、とても情けないものだった。でも、ケンチンにだったら、弱い部分もたくさん見せられる。
「ずっと、ここにいろよ」
ケンチンはオレの頭を抱いて、耳もとにそう呟いた。うん、とオレは頷いて、ケンチンを抱く腕に力をこめる。太ももに当たっているケンチンの性器が、硬度を増していた。オレはそれを下から上に向かって撫で、先端をさすり、いたずらするみたいにちょっとずつ刺激を与えてみる。さっき、尻を触られた仕返しだった。
万次郎。と、ケンチンはオレを呼んだ。そうして唇にキスをした。ぬるくて湿った唇と、そのあい間から差しこまれる熱い舌。指が動いて、ふたたび尻の穴にふれた。指さきが円を描き、ゆっくりと中に入ってくる。さっきよりは少ないものの、それでも圧がかかって思わず喉を鳴らした。
「大丈夫か?」
オレの目を覗きこんでケンチンが言うのに、オレはこくん、と頷く。
「だいじょぶ」
「動かすぞ」
ゆるゆるとした動きで、指がオレの中に入ってくる。差し入れられた指が、中を
「――アッ、」
奥の――そこがどこだかわからないけれど――気持ちいい箇所に当たった瞬間、オレの体がおおきく跳ねた。
「……ココ?」
オレが頷くとケンチンは執拗にそこをいじった。きもちい……、息といっしょに声を吐く。おとなしく責められていると、うなじのあたりがちりちりと熱くなってきて、オレの性器も硬く反り返っていった。
「ッあ、ァ、ッ」
ケンチンの頭にしがみつき、与えられる気持ちよさに耐える。瞼の裏に白いひかりのようなものが飛び交い、あ、イく、と思った瞬間、指が引き抜かれた。
「挿れていいか」
ケンチンの性器はとっくに、苦しそうに勃ち上がっていた。先端部分にふれてみると、先走りがしたたっている。こくこくとオレが何度も頷くのを見て、ケンチンはベッドサイドの引き出しを開けた。案の定、コンドームが二枚、入っていた。
ゴムをすばやく性器に被せて、ケンチンはオレの顎を掴むと深いふかいキスをした。体を密着させて、オレは脚を左右に開く。腰をわずかに持ち上げて入口を見せるようにすると、ケンチンは音もなくするりと入ってきた。圧を感じたのは最初だけで、性器はあっという間に根元まで、オレの中に飲みこまれた。
ケンチンの喉が動いて、唾液を飲む音がすぐそばで聞こえた。唇の角度を何度も変えて、熱い舌を絡めあう。吸って、舐めて、なぞって、ふれてない部分なんてないくらい、オレらはお互いを味わった。
腰を掴まれて、ゆさゆさと揺らされる。そのたび中が激しく擦れる。頭の芯が痺れて、甘い声がもれて仕方がなかった。ケンチンの動きはオレの気持ちいいところを的確に刺激した。あふれ出てくる体液のせいで、いやらしい水音が耳を責めてくる。それでも気持ちよさには抗えなくて、もっともっととケンチンをねだった。
「はっ、ァ、万次郎……ッ」
閉じていた目をうすく開けると、眉間にしわを寄せて、苦しげに――でも気持ちよさそうに、ぎゅっと目を閉じているケンチンが見えた。オレの中で、オレの熱さを感じている。そう思うとうれしかった。擦れて、揺さぶられて、頭の中が徐々に痺れてくる。
腰を押しつけてより深くオレの中に入ってくるケンチンを、オレは自然と受け入れた。ケンチンはオレを呼吸が止まりそうなくらいにきつく抱きしめて、何度も名前を呼んだ。万次郎、万次郎、と。ぽた、と頬に熱い水が落ちて、それがケンチンの涙だと気づいたのは、舌にしょっぱさを感じたから。見上げると、ケンチンは泣いていた。
オレを抱きながら、大粒の涙をあとからあとからこぼしていた。
波の音のあわいに、傍らで眠るマイキーの寝息が聞こえた。静かで、おだやかで、途絶えることなくくり返される寝息は、波音と同調して耳に心地好かった。マイキーは深い眠りの中にいるらしく、髪の毛を撫でても、鼻の頭にふれてみても、びくともしない。
D&Dの休憩室のソファでもそうだったように、マイキーはいま、眠れていなかった分を取り戻すみたいに、遠くて深い眠りの世界にいた。
夜が深まっていた。壁掛け時計の針が深夜の0時を差しているのがうす闇の中に見えた。
あのあと――マイキーと初めてのセックスをしたあと、一度浅く眠って、目がさめたら今だった。マイキーは胎児のかたちに丸くなって、すうすうと眠っていた。当たり前だがふたりとも全裸で、寒そうに身をちいさくしているマイキーにタオルケットを掛けてやった。オレに身を寄せて体温を求める姿は猫みたいだ。無防備で、いまのマイキーはこんなにも儚い。梵天の首領だなんて誰が信じるだろうか。
――ずっといっしょにいてほしい。
最中、マイキーはそう言った。オレもまったく同じ気持ちで、だから、ずっとここにいればいいと言った。マイキーは頷き、ああこれで、やっとオレはマイキーのそばにいられるんだって思ったら、涙があふれて止まらなくなった。みっともないくらいぼろぼろ泣いて、マイキーを抱いて、抱きしめて――。
「……ずっと、オレといっしょにいろよな」
呟いて、髪を撫でた。指のあいだからさらさらと逃げていってしまうそれを追いかけて、何度も何度も梳く。
カーテンのあい間から淡い月の光がもれて、ベッドの上にひと筋のひかりが這っていた。
夜が明けたら、うちに帰ろう。そう思った。マイキーを連れて、ふたりでうちに帰ろう、と。
梵天のことなんて、オレの知ったことではない。ボスがいなくなればきっと自然消滅する。そういうモンだろう、組織なんてのは。
「ふたりで、うちに帰ろう。な」
髪の毛に唇を寄せて囁く。ひとりごとのつもりだったから、「うん」とマイキーが頷くのを見て、驚いて顔を上げた。マイキーはうすく目を開けてオレを見つめていた。闇に慣れた目にはマイキーの表情はよく見えて、その顔がまだ眠そうに
「悪ぃ、起こしちまった」
うん、とマイキーはタオルケットを口もとに引き上げて、おおきなあくびをした。それから目をこすって、「いま、何時?」と訊いた。
「0時過ぎ」
「うーん……そっか」
身じろぎをし、ベッドに腹這いになったマイキーはぼんやりとしたまなざしをオレに向ける。その視線が熱っぽくて、不覚にもどきり、とする。
オレが果てたあとすぐにマイキーもイッて、ふたりしてベッドに崩れた。ついさっきまでの行為がいまさら、妙に恥ずかしくなって、オレは視線を逸らした。マイキーの手がオレの手首を掴んだ。
「ケンチン、」
オレの名前を呼ぶ声も、熱を孕んで色っぽい。「ねえ、もう一回」。
上目で訴えられて、拒むことなんてできなかった。手首を引っ張られたその勢いでオレはマイキーの上に覆い被さり、腕の中にその体を包んだ。冷えていたはずの体はいつの間にかひどく、熱くなっている。両頬を掴んで深くくちづけた。舌と舌とが絡まり、息が混ざりあった。
体のあちこちに手でふれて、キスをして、舐めて、お互いにお互いを思いきり味わう。胸の突起をくちに含んで舌で転がせば、マイキーは高い声を上げて首を反らせた。
一度果てた体は刺激に敏感になっていて、マイキーの性器はすぐに濡れ始めた。先走りを使っていじってやると、マイキーはオレの体に縋り肩に歯を立てた。きもちぃ……。と、耳のそばで呟かれて、我慢ができなくなる。
うすい体を抱きしめて、マイキーの中を感じながら、また泣いてしまいそうになっている自分に気がついた。唇のあい間から甘い声をもらし、オレに必死で縋りつくマイキーの頭を、力の限り掻き抱く。
もう、泣く必要なんてない。この手を、この体を、オレは一生離さないから。
水平線の向こうから、ゆっくりとやって来る朝を見ていた。開け放したカーテンが、裾からすこしずつ、日のひかりに染まってゆく。
ベッドに並んで寝転がり、部屋に一つしかない、でも海に面したおおきな窓をふたりで見つめた。裸の背中にタオルケットを掛けただけではまだ寒くて、オレはケンチンの体に体を寄せた。長い腕が伸びてきて、オレの肩を抱く。あったかい。ケンチンのあたたかさに、とびっきり甘い夜のすべてを思いだした。
体じゅうがケンチンで満たされていて、まだ頭がくらくらした。
「夜明けだ」
ケンチンの声に、うん、と頷いた。凪いだ海が朝日を反射している景色は、とてもきれいだった。
「……きれい」
思わずこぼすと、ケンチンは「そうだな」とオレの髪の毛を撫でた。ケンチンの手のひら。夜じゅう、オレの体をたくさん触ってくれた手のひらだ。オレはその手を握ると、唇に押しつけた。すこし、潮の味がした。
「こんなきれいな世界に、ケンチンはいるんだなあ」
きらきらとひかる海は、長く見つめていると目が眩む。ごくささやかな波音が、耳に届いた。
「……オレも、ここにいていいのかな」
こんなにきれいな世界に、オレがいていい理由がわからなかった。さんざん罪を重ねてきたオレが、こっちの世界にいてゆるされるのか。誰が、ゆるしてくれるのか。
「いろよ」
オレの耳朶にふれながら、ケンチンは言った。「オレはオマエのこと、もう離してやれねーかんな」。
見上げると、ケンチンは真剣な目をしてオレを見つめていた。
「なに、それ」
「そのまんまの意味」
そうして、今度はケンチンがオレの手を取り、唇に持っていった。薬指に、そっとキスをされる。
「もう離さねー。そう決めた」
口の端を持ち上げて、いたずら好きのガキみたいにケンチンは笑った。屈託のないその笑みにつられて、オレも顔をくしゃくしゃにした。
太陽が顔を出して、部屋じゅうがひかりで満たされてゆく。頬に、額に、たっぷりと日を浴びて、オレはふたたび視線を窓に向けた。
東の空――赤く滲んだ海とのさかい目は、まるでそこから世界が生まれてくるようだった。