日々は言祝ぎて意味になる

 堅が大きく手を広げてみせたから、迷わずその腕の中に飛びこんだ。そうしてぎゅうっと抱きしめられる。彼の腕の重みを、胸板の厚さを感じて、それから自分の体中を包む匂いを思いきり吸い、万次郎は深く息を吐き出す。腕を背中に回して抱きしめ返せば、より強い力で抱きしめられるから。――その応酬が、愛されていることを感じられて、たまらなく好きだった。
「マイキー」
 耳たぶを食みながら堅が言うのに、背筋がぞくり、とする。あたたかな唇が耳のかたちをなぞって、こそばゆかった。
 くすぐったい、と笑えば、堅もまた息を吐くようにして笑った。

 渋谷のラブホテル。場末、と言う形容がよく似合う古いホテルが、道路に面してぽっかりと門扉を開けていた。人通りの多い道なのに、その周辺だけがひっそりと静かだった。
「こんなんあったっけ」
 万次郎は建物を見上げ、隣を歩いていた堅に問う。堅にも覚えはなかった。土曜日の、まだ明るい昼下がりだった。通りは人の往来が激しく、何組ものカップルがふたりを追い越していった。皆、まるでこのホテルの存在に気づいてすらいないようだった。万次郎の好奇心が疼いたのを、堅は察した。
「行ってみよーぜ」
 万次郎は堅の手を引っ張り、ふたりは敷地内に足を踏み入れた。好奇心のままなんとなく入ってしまったけれど、まだ中学生であるから、ふたりとも、いわゆるラブホテルという空間に入るのは初めてのことだった。
 ラブホテルといえば全体を派手に装飾されているイメージがあった。このホテルは、縦長の建物にお情け程度の電飾がひかっているだけの簡素な作りをしていた。左右に開かれた門扉は錆びつき、地面から伸びた蔦が巻きついている。長いあいだ、ずっと開け放たれていることは明らかだった。
 ホテルの勝手はまるで知らなかったけれど、ふたりの所持金を合わせてもお釣りが来る価格設定だったので、とりあえずは安心した。金さえ払えるならなんとでもなる。
 フロント部分は薄暗く、全体像をたしかめることはできなかった。しかし、かなり古い建物であることはすぐにわかった。部屋の隅から黴の匂いが漂ってきて、ひどく埃っぽい。ここ掃除してんのかな、と万次郎がぼやき、堅はそれにはさほど興味のなさそうに、さあ、と首を傾けた。
 受付には古びた呼び鈴が置いてあり、それを鳴らすと奥の間からエプロンをつけた小太りのおばさんが出てきた。
「ご休憩?」
 おばさんは素っ気なく言う。堅が頷くと、やはりひどく素っ気ない態度で「五〇五号室」と言いながら、鍵をテーブルに置いた。そうしてすぐに背中を向け、奥に引っこんでしまった。まるで、客人とは目を合わせない、というポリシーでも持っているようだ。彼女の対応に万次郎は唇を尖らせた。
「感じっ悪ぃオバハン!」
 憤慨する万次郎に、
「まあ、あえて素っ気なくしてんじゃね? 客のために」
 知らねぇけど、と堅は笑いを滲ませながら言った。部屋番号の彫られた鍵を持ってエレベーターに乗り込み、五階を目指す。エレベーターもまた古めかしいもので、動くたびに箱全体がぐらぐらと揺れた。これ、メンテとかされてんのかよ、と堅はぼんやり思ったけれど、すぐに、そんなことはべつにどうでもよいことだと考えを消す。
 土曜日の昼間、ふたりでホテルにいるという事実は、それだけで堅の気分を高揚させた。そしてそれは万次郎も同じだろうと思った。
 すぐ側にあった万次郎の手に、指先でふれると、ぴくん、とすなおに反応する。見下ろした先にある、彼の頭。金色の髪の毛に隠されて、顔は見えない。マイキー、と名前を呼んだ。万次郎は、ん、と喉の奥で答えたきり、こちらを見ない。エレベーターの箱が、ぐらりと揺れて、止まる。その瞬間に堅は万次郎を引き寄せて、きつく抱きしめた。顎に指を添えて上向かせ、唇を吸う。一瞬の出来事で、万次郎は逃げることができなかった。唇はすぐに解放されたけれど、ドアが開いても、堅の目は真っすぐに万次郎を見つめていた。
「ケ、……チン」
 果たしてこんなホテルに他に客がいるのか、いないのか、わからなかった。しかし、もしこの状況を誰かに見られたらと思うと堪らなくて、堅の腕から逃れたかった。堅はしっかりと万次郎の体をホールドしており、動くこともかなわない。
 ケンチン、へや、行こ。視線をそらし、掠れたちいさな声で言う。顔が、熱を帯びている。鼻の頭まで真っ赤にした万次郎の顔をじっと見て、堅はひどく満足した。普段、こんな顔を彼は見せないから。東卍の他の仲間の前ではけっして見せない、甘ったるい万次郎の顔。いま、自分の腕の中でちいさくなっている万次郎を、堅はただ、愛しく思う。体のあたたかさを感じて、一人の人間として生きている彼を思う。
 堅は体を離すと、万次郎の腕を取ってエレベーターを降りた。「五〇五」と札の提げられたドアは目の前にあって、迷いなく鍵穴に鍵を差しこみ、開ける。けっして広くはない――せいぜい八畳ほどだろうか――部屋に、ダブルサイズのベッドが中央にどん、と置いてある。その存在はひどく無遠慮で、愛想のない感じがあった。あいかわらず照明は暗く、部屋全体のようすを確認することはできない。
 後ろ手にドアの鍵を閉めると、堅は万次郎の頬に手のひらを這わせ、深くくちづけた。舌をゆっくりと差し入れながら、万次郎の体を服の上から弄る。んん、と鼻にかかった息がもれ、酸素を求めて軽く開かれた唇に、堅はまた舌を入れる。舐め、撫でまわすと、万次郎の咥内の熱さに頭の奥が痺れた。
「っはァ、」
 ようやく解放されると、万次郎は息を吐き、暗がりでもわかるほど赤く染まった顔を伏せて視線を足もとに落とした。
「……ケンチン、急ぎすぎ」
 濡れた声で、言う。「初ラブホだから? 興奮してんの?」。
 さんざん好きにされた腹いせか、意地悪な笑みを浮かべて万次郎は堅の目を見た。堅は、そーかもな、と言って、ふたたび顔を寄せてキスをしようとする。それを、万次郎の両手がすかさず阻止した。
「ちょっ、待って待って!」
「ァんだよ」
 露骨に不服そうな顔をした堅に、万次郎は、
「初ラブホなのに、いろいろ見ないのは損じゃん!」
 おそらく浴室があるのだろうドアを、指差した。
「こーゆーとこの風呂ってすげぇイメージある」
「どうだか。このホテルにンなたいそうな設備あるか?」
「えー、わかんねーじゃん」
 堅の腕をするりと抜けて、万次郎は浴室のドアを開ける。果たして中は、一般的なビジネスホテルの浴室と違わない、シンプルなユニットバスだった。真っ白な壁に真っ白な床。浴槽は、ホテルの外観からは想像できないほど清潔に磨かれていた。
 嬉々としてドアを開けた万次郎は、内装をくるりと見回したのち、静かにドアを閉めた。
「全然ふつーだな」
「……ケンチンの家のシャワールームのほうがそれっぽかった」
「なんだよ、それっぽいって」
 堅は笑って、万次郎の髪の毛を撫でた。そのまま、頭を胸に引き寄せる。従順に体を傾けて、万次郎は頬を堅の胸もとにすり寄せた。深く、呼吸をする。いつもの堅の匂い。それから、部屋に漂っている香水のような重たい香り。「……なんの匂いこれ?」。堅に抱かれながら、問う。あまりよい香りとは思えなかった。濃密な花の香り。堅は部屋をぐるりと見回して、部屋の隅に備えられたアロマディフューザーを顎で示した。「あれだろ」。
「この匂い、ヘン。ヤだ」
「へいへい」
 堅は手首を掴んだままベッドまで歩いてゆき、万次郎を座らせると、ディフューザーに近づいてスイッチを切った。もあもあと吐き出されていた湯気が消える。香りは濃厚に残っているけれど、時間が経てば薄れるだろう。
 ダブルサイズのベッドに、並んで座る。マットレスはほどほどに硬く、けれどふたり分の体重を預かってゆったりと沈んだ。万次郎はあらためて部屋を眺めた。いま、ふたりで座っているベッドに、ローテーブル、スイッチの切られたアロマディフューザー。置いてあるものは極めてシンプルで、窓はなく、そのためにカーテンもない。なんだか閉じこめられてるみたいだな、と万次郎は思った。
「ラブホってこんな、なんだ」
 期待はずれだ、というように呟くと、堅は首を捻った。
「今どきこういうとこのほうが珍しいんじゃね? ラブホってかただの古いビジホ、みたいな」
「そうなん?」
「いや、知らねぇけど」
 なにせふたりとも初めてラブホテルというものに入ったのだ。自分たち以外に客がいるのかも怪しい、無愛想なおばさんが受付にいる、渋谷の場末のラブホテル。比較対象がないから、この場所がラブホテルとしてどうなのか、可なのか不可なのかさっぱりわからなかったけれど、こういう場所ですることだけはちゃんとわかっている。
「マイキー、ほら」
 だから堅は、両手を、万次郎に向けて大きく広げたのだった。

 執拗に舌で耳をなぞられ、シャツのすき間から直に肌を触られる。堅の手のひらはとても熱くて、背中、そして腹をさすられると、心地よさにため息がこぼれた。もっと触ってほしくて、けれど積極的に求めるのは気恥ずかしくて、もじもじしていると、堅は動きを止めて万次郎の目を見つめた。
「どしたん」
「……ん、」
 ずるい、と万次郎は下唇を噛んだ。ぜんぶわかってるくせに、なに、言ってんだよ。上目で睨みつけると、堅はふっ、と笑った。
「笑うなし、バカ」
「バカってゆーなし、バカ」
 そうして、鼻の頭をぱくんと口に含む。頬に歯を立てられ、甘噛みのように口を動かされれば、くすぐったさに身が捩れる。ベッドの上に座った状態で戯れているうち、自然と堅の体が万次郎の体を覆っていく。上から被さるようにしてシーツに押し倒し、舌先で万次郎のくびすじを舐める。まるで彼の味をたしかめるような動きだった。恥ずかしさのあまり、万次郎は目をぎゅっと瞑って、両手の甲で顔を覆った。真っ赤になっている顔を、見られたくなかった。欲求と熱に潤んだ瞳も。
「こら、隠すな」
 低い声で言って、堅の手が万次郎の手を捕らえ、呆気なく顔を暴かれてしまう。堅は包んだ手を重ね合わせて、ゆびを絡めた。きつく握られたうえシーツに縫いつけられて、右腕はもう動かせない。かろうじて、左手で口もとを抑えるのが精いっぱいだ。万次郎は左手の甲を噛んで、どうしようもなく溢れてしまう声を必死で殺した。しかしそれでも、喉の奥から甘い声は絶えずもれ出て、それは堅をじんわりと喜ばせた。
 シャツを捲られ、露わになった胸の突起を堅の唇が咥える。と、万次郎の全身が一度激しくふるえた。肌の表面は粟立ち、ざらざらとした感触が堅の舌に触れる。突起を甘く噛んで舐め上げて、先端を舌先で弄った。んん、とため息とともに声がこぼれた。
「や、ァ……」
 何度も何度も舌で転がし、舐め、そうしながら堅の手は、万次郎の下半身を探っていく。履いているカーゴパンツの上からなぞると、すでに形がわかるくらいに硬くなっていた。輪郭にゆびを沿わせ、ゆるい動きでさすってやれば万次郎の脚は自然と閉じられていく。それを、体を差し入れることで強引に開かせ、膝の頭を性器に押しつけた。
「……勃ってる」
 笑いを含ませながら言うと、万次郎はムッとした表情を作って、膝を使って堅の股間に触れる。「ケンチンもじゃん」。堅のほうもまた、熱を帯びた性器がズボン越しに存在を主張していた。
 堅は上半身を起こして素早くロングTシャツを脱ぎ、また万次郎の体に覆いかぶさった。両の手で頬を包み、何度も唇を吸う。舌を使い、歯列を舐め、口蓋を味わった。いつもよりずっと深く長いくちづけに、万次郎は動揺しながらも、頭の芯が甘く溶けてゆきそうな快さを感じていた。堅の舌はひどく熱くて、口の中を器用に動き回り、まるでチョコレートでも食べてるみたいだ、と万次郎は思った。オレは、チョコレートで、ケンチンはそれを口の中でころころ転がしてる。
 舌と舌とを絡めれば、唾液が口角からこぼれ、シーツに伝い落ちて染みをつくった。そうでなくてもすでにうっすらとかいていた互いの汗で、シーツはわずかに湿っていた。首の後ろが、あつい。万次郎はキスを受けとめながらぼんやりと思う。うなじンとこが、めちゃくちゃあつい。しつこいくらいのキスに汗が噴き出る。ケンチン、とこころの中で、今自分を激しく求めている男の名前を呼んだ。ケンチン、好きだよ。愛してる。ほんとに、ずっとずっと愛してる。
 セックスをするとき、抱き合いながら何度も、同じ言葉ばかりが水のように湧いてくるのが不思議だった。好きだ。愛している。万次郎も、堅も、うわ言のようにその言葉をくり返した。まるでそれしか言葉を知らないように。たぶんそれは、と万次郎は思う。たぶんそれは、えっちしてるとき、ほんとにそれ以外の言葉が意味を失くすっていうか、“好き”と“愛してる”以外に必要がなくなるっていうか。たぶんそんな、そういう理由だからだ、きっと。
「ケンチン、キス、ながい、」
 いやらしい水音が耳を責めて、耐えきれずに息継ぎの際にそう言えば、堅は意地悪く笑って「イヤか?」と問う。イヤなわけ、ない。ちくいち意地の悪い応答をする堅に、万次郎は頬を膨らませた。
「そーゆーの、ずりぃって」
「どーゆーのだよ」
 くびすじに噛みつかれて、万次郎は言葉を飲んだ。膝に当たっている堅の性器が、硬さを増したのがわかった。ズボンの下で苦しそうに膨張しているそれを、膝頭でさすってみる。ちぅ、とくびすじを吸って赤い痕をつけた後、堅はスムースな動きで下着とズボンを脱いだ。次いで万次郎のパンツと下着を剥ぎ取る。あっという間のその動きに、万次郎は一瞬、怯んだ。万次郎の緊張をほぐすように堅の手が髪の毛にふれ、優しく梳く。手のひらはそのまま頬を撫でて、ゆびの先で顎を持ち上げられるとふたたび唇にキスが降った。
 堅とのセックスは、じつはまだ数えるくらいしかしていなかった。そして万次郎にとってはキスも、セックスも、堅が初めての相手で、おそらくこれから先の人生で、彼以外と体を交えることはない、と思っている。堅じゃない人間に、こんなふうに体を開きたくなどなかった。コイツにだけ見せられる顔、コイツにだけ聞かせられる声があった。そしてまた、堅に対しても同じように思うのだ。堅の熱を帯びた表情、欲に潤んだ目、あつい手のひら。そういういったものが自分以外の誰かのものになると考えると、ひたすらに怖かった。それだけはあってはならないことだと思った。堅に対する激しい独占欲がふつふつと湧いて、抑えられなくなってしまう。万次郎は堅の首に腕を巻きつけ、体を密着させた。あつい肌どうしが触れ合うと、そこから溶けてふたりの境い目がなくなってしまいそうだった。
「ケンチン」
 頬に頬をすり寄せて、万次郎は甘えた声を出す。万次郎の頭を抱き、耳たぶをさすりながら、堅は、なに、と言った。
「オレ以外の誰かに、そんな顔、見せちゃダメだかんな」
 消え入りそうな声で、万次郎は言った。堅の耳をやわく噛む。噛み痕を残したいと思ったけれど、動くより早く堅は万次郎の入り口にゆびを押しつけた。思わず「あっ」と大きな声が出て、慌てて口を塞ぐ。その手首を、堅は掴んで引き剥がした。両手首を掴まれて、ホールドアップの形にさせられる。そうしてあぐらを掻いた脚のあいだに万次郎を座らせ、対面の姿勢で、ぐ、と人差し指を入れていった。
「んっ、ん――」
 唇を噛んで声を抑えようとする万次郎の、上唇と下唇のあい間に、堅は舌を入れてゆく。ゆるく開いた口の中をふたたび舐められ、声がもれてしまう。万次郎の目に、生理的な涙が滲んだ。
「声、抑えんなって。もっと聞かして」
 いやだ、と首をふっても言葉にはできなくて、ゆびを押しこまれる刺激に万次郎は体を震わせて甘く鳴いた。
 万次郎の、とろん、ととろけた目も、上気した頬も、ふたり分の唾液に濡れた唇も、せつない声も、今は堅だけのものだった。火照った肌も、大きく開かれた脚も、のけ反るくびすじも、そこに浮かぶのどぼとけも。あっ、あぁっ、アっ―― うす暗い部屋の壁に床に天井に、万次郎の声が吸いこまれていく。もう声を抑えるなど諦めて、堅の体にきつくしがみついた。くちゅくちゅと音を立てて中をかき混ぜられ、その感触が絶えず万次郎に刺激を与える。中の、いちばん敏感な部分をこすられる。指の動きは容赦がなく、万次郎の目からひとつぶの涙が落ちた。
「もっ、やだァ、ケンチン……っ」
 万次郎の訴えに、頬にこぼれた涙を舌で掬って堅はゆっくりと指を引き抜いた。愛液と先走りとでしとどに濡れた指が、ぬらぬらとひかっている。いやらしさに目を背けたくなる一方で、興奮を煽るのもまた事実だった。
 激しく押し倒されて、膝裏を掴んで大きく左右に広げられる。
「も、入れるぞ」
 堅は硬くなった性器に避妊具を被せ、一息に万次郎の中に入ってきた。咄嗟の圧に、呼吸が止まる。次いで、挿入部分に熱を感じる。ゆるゆると腰を動かし始める堅の動きに、体の深部はすぐに反応した。意思とは無関係に、声が出た。それは、けれど堅も同じで、深いふかいため息が万次郎の耳もとを滑っていった。
 ケンチン、気持ちぃ? と、万次郎はちいさな声で問うた。オレん中、ちゃんと気持ちいい? ねぇ、どんな感じ? あったかい? こそばい?
「気持ちぃ……」
 万次郎の全身を抱きしめ、堅はあつい息とともに声を吐いた。ゆっくりと腰を前後させ、性器すべてで万次郎を感じようとしている。そのようすがたまらなく愛しくて、もっと気持ちよくなってもらいたくて、万次郎も腰を捩ってみた。中で堅の性器と万次郎の敏感な部分が擦れる。一瞬、背筋に走った快感に、万次郎の体が大きく跳ねた。
「ん――、ココ?」
 万次郎の反応を目敏く察した堅が、腰を動かしてその部分をしきりに擦った。万次郎はシーツを握りしめて、快感に耐えようとする。気持ちのよいところに擦れるたび、体はびくびくとふるえ、シーツを掴む手に力が篭もる。
「んっ、あっ、ァ、やっ」
 執拗な動きに、自然と両足が堅の腰に絡みつく。密着部が増えると快感はより増し、上がる声もいっそう大きくなった。自分の口からこぼれる声も、接合部が擦れる水音も、いやらしく部屋に響いて、耳を塞ぎたいと万次郎は思った。けれど、腕は堅の体をしっかりと抱いているし、揺さぶられるたびにあふれる声は耳を塞いだところで聞こえなくなるわけではないくらいに大きい。
 はあっ、と荒く息を吐き出し、堅は腰の動きを早めていった。突かれて、揺さぶられて、万次郎の頭は、もう、どうにかなってしまいそうだ。
「ケンチン、好きっ、っ」
 好き、だいすき、愛してる。何度も何度も口にして、これまでもたくさん伝えてきた言葉を、今日もまたくり返す。オレも、と堅も言った。好きだ、愛してる。そうして深く、強く、腰を押しつける。
「……イっちまう、」
 耳もとに、堅が声を吹きこむ。濡れて掠れた声に万次郎はコクコクと頷いた。腰を両手で掴まれて、最奥を激しく突かれる。息が止まりそうで、必死に堅の体にしがみつきながら、あ、イきそう、とどろどろに溶けた頭で思った。
「あっあっ、ア――ッ」
 足がガクガクと震え、悲鳴に近い声が出た。万次郎の性器から液が噴き出し、自身の腹を汚した。それとほとんど同時に堅も万次郎の中に精を放ち、そうしてようやく、激しい腰の動きが止まった。
 脱力し、覆い被さってくる堅の体の重さを受け止めながら、万次郎は痙攣する体が鎮まってゆくのを待った。背中に腕を回し、思いきり堅を抱きしめれば、堅もまた万次郎を強く抱きしめる。はあー、と長いため息をついて、堅の肩にくちづけた。
「ケンチン……好きぃ……」
 何度も、何度も。好きと愛してるをくり返して、これからもきっと、まるでその言葉しか知らないように。
 堅は顔を持ち上げて、額に浮かんだ汗の粒を指のひらで拭った。果てたあとの、一瞬だけ見せる堅の表情が万次郎は好きだった。濡れた瞳に、熱に浮かされた目もとがひどく色っぽい。ずっと見ていたいと思うけれど、彼がその表情を見せるのはごくほんの一時で、すぐにいつもの余裕ぶったものに変わってしまう。
「ケンチン」
 万次郎は堅の頬を両手で挟みこみ、視線を絡ませた。一瞬の表情を目に焼きつけるように、じっと堅の顔を見つめる。
「この顔も、絶対オレ以外に見せんなよ」
 念を押すと、堅は笑った。そして、万次郎の手のひらに自らの手のひらを合わせると、
「オマエもな」
 と、言った。「オレ以外にあんな顔、見せんじゃねーぞ」。
 あんな顔、と言われて、万次郎は先ほどまでの行為が脳裏に鮮やかに甦って、顔が熱くなった。
「じゃあ、ケンチンももう一生、オレ以外の誰ともセックスすんなよ」
 照れ隠しに――けれど十分に本気で――そう言うと、堅は万次郎の鼻の頭にキスを落として、ほほ笑んだ。
「約束、な」

 *
 
 変わらず愛想のないおばさん店員に料金を支払ってホテルを出ると、秋の夕がたのつめたい風が頬を撫でていった。ホテルの門を抜け、指と指とを絡めたふたりは渋谷の雑踏に足を踏み入れていく。一度、ちらりとふり返ると、ホテルはやはりどう見てもボロで、時代に取り残されているようすは否めなかった。紫とピンクの混ざったような奇抜な色の電飾が、安っぽい「HOTEL」の文字を夕闇に浮かび上がらせていた。
 人々の群れに紛れると、けれどその姿は呆気なく見えなくなった。たしかにそこにあったはずの建物が視界から消えてしまったことに、不思議な心地がする。まるでさっきまでの出来事がなかったように思えて、万次郎は堅の手をぎゅ、と握り、そのあたたかさをたしかめた。情事の熱は引いて、日常のぬくもりがそこには戻っていた。
 でも、きっとすぐにまた、あの熱が欲しくなることは知っていた。
「たまにはラブホもいいなあ」
 万次郎が言うと、堅は、「けっきょく全然ラブホっぽくなかったけどな」と笑った。
「でも、大っきな声出してもヘーキだったし」
「ま、それは、な」
 堅の家や万次郎の部屋でセックスをするとなると、やはり音の問題があった。堅の家は言わずもがな、万次郎の離れの部屋だって、家族がいるし、それなりに声や音を気にしながらの行為になる。ラブホテルはその課題がないから、気兼ねがなくてよいのかもしれない。
「でも金かかるぜ」
 堅がぼそりと言った。
「うーん、まあなー」
「それにオレは、オレんちとかオマエんちでヤるの、けっこう好きだけど?」
 え? と万次郎は堅を見上げる。夕まぐれに、堅の顔が意地悪くゆるんでいるのが見えた。
「もれねぇように必死に声抑えてるオマエの顔、好きだし」
「……すけべえ」
「お互い様だろ」
 万次郎もまた、堅や万次郎の部屋で声を殺しながらするセックスを、それはそれで好いていた。堅が喉奥で殺す声や吐かれる息、ベッドのスプリングが軋む音、水音、ときおり、BGMのように薄い壁から聞こえてくる嬢と客の喘ぎ声。ごくん、と唾を飲みこむときに上下する堅ののどぼとけが、妙に扇情的で。――そうあの顔も、絶対に、オレだけのものなんだ。
 そのようすを思い出すと、いつだって顔が熱くなる。ごまかすように体を寄せ、万次郎は七分袖から出た腕を堅の腕に絡めた。肌を外気に晒すと、もう薄寒い。いつの間にか季節が変わっていたことに、今さら気がつく。
 熱を冷ましてゆく空気が、けれど心地よく涼しかった。万次郎は目を上げた。
 ビルとビルのあい間の遠くの空に、ぽつん、とちいさな星がひかっているのが見えた。