夜になっても、暑さは執拗だった。太陽の照りつけがない代わりに湿度は高く、街の中心から離れているとはいえ空気はむせ返るほどに濁っていた。それでも万次郎は手を繋ぎたがったし、最初こそ「暑苦しいだろ」と拒んでいた堅もやがては諦めて万次郎のすきにさせた。
 万次郎のてのひらはじっとりと汗ばんでいた。皮ふを伝う体温と自身の体温とが溶けて混ざりあい、不覚にも胸の奥がざわざわと蠢く。いちど触れてしまうと、すぐにもっと欲しくなる。けれどその欲を抑えられる程度には堅は理性的で、試すように体を寄せてくる万次郎をやんわりといなす。
「そういうのは帰ったらな」
「そういうのって? なに考えてんだよケンチンのすけべ」
 にんまりと唇の端を持ち上げて堅を見上げる万次郎の目は、冗談と本気の色が半分半分だ。
「バーカ」
 煽ったり試してみたり、実に憎たらしいと思う。ずりぃよな、とも。そんな顔を見せられたら理性のタガなんてすぐ吹っ飛んじまう。誤魔化すように万次郎の髪の毛を空いているほうの手でくしゃりとかき混ぜた。
 側に停めた万次郎のバブのタンクはまだ熱を持っていて、虫の鳴き声のあいまにチリチリとかすかな音を鳴らした。
 万次郎の誕生日の夜だった。堅にとっても特別な日に、佐野家に東京卍會の仲間たちを呼んで誕生日パーティをした。エマと日向がつくった大量の料理と特大ホールケーキでテーブルはぎっしり埋まり、けれど食べ盛りの少年たちにとっては足りないくらいで、あっというまにすべてを平らげてしまった。
 会がお開きになって人も捌けたあと、「風に当たりたい」と万次郎は堅を誘った。どこに。そう問うたけれど、万次郎は黙ってバブに跨りシートをトン、と叩いた。
 武蔵神社に着いたとき、時刻は23時を過ぎていた。あと1時間足らずで、万次郎の誕生日が終わる。
 ふたりは手を繋いで、神社の境内から街を見下ろした。
「なあ、ここってさー」
 ふいに、万次郎が口をひらいた。
「10年後も、30年後も、50年後も、残ってっかなあ?」
「なんだ、突然」
 堅はくつくつと笑った。「わかんねー。区画整備だなんだでなくなるかもしんねぇしな」
「ケンチン、現実的すぎじゃね?」
「実際、わかんなくねぇか?」
「オレは、残っててほしいんだけど」
 万次郎は目を細めて、堅を見上げた。走っているさなかさんざん風にあおられた金色の髪が、灯りの乏しい境内の闇の中でぼんやりとひかってみえた。
「思い出の場所だもん」
 おもいで、と堅は口の中で反芻した。
「ケンチンと初チューしたのも、ここだし」
「あー……」
 堅はゆびさきでこめかみを掻いた。思いだすと、じんわりと恥ずかしさが滲む。
 万次郎とはじめてキスをしたのは、一昨年の彼の誕生日に、この場所で、だった。今より幼い顔をした万次郎から、仕掛けた。
「誕生日だし、オレのいうこと聞いてよケンチン」
 まずちょっと屈んで。そう指示されて、堅は軽く腰を落とした。いつもいうこと聞いてるじゃねぇかと反駁しようした唇を万次郎の唇が掠め奪ったのは、ほんのわずかな瞬間だった。かすかに湿った皮ふとぬるい体温ははじめて味わったもので、驚いて目を見ひらいた。あまりに一瞬のことだったため、声も出なかった。
 顔が離れたとき、万次郎の頬がもも色に染まっていたのを今でもしっかりとおぼえている。目を伏せて、所在なげに視線を泳がせて。うすくひらかれた唇から言葉がはっせられそうで、とうとうなにも出てはこなくて。あの“無敵のマイキー”が、照れてる。四十八手がどうのとか言ってたくせに、こんな、ごっこみてぇなキスをして、照れてる。
 どきどきと高鳴る心臓の音が、ひどくうるさかった。照れているのは堅も同じだったけれど、それ以上に、うれしい、と思った。
 コイツもこんな顔、するんだ。こんな顔、オレに見せてくれんだ。
 よろこびが胸に広がり、甘い痺れに頭の芯がぼうっとした。
 ケンチンさあ、と万次郎は堅の目をまっすぐに見つめた。
「オレ今日、誕生日じゃん?」
「そうだな」
 わかりきったことを、たしかめるように万次郎はいう。
「だから、おめでとうって言って」
「今日だけで30回くらい言っただろ」
 ほんとうは今日を迎えるまでの一週間のあいだに、少なくとも100遍は「おめでとう」を伝えたのだけれど。
 繋いだ手を、きつく握られる。
「じゃ、31回めのおめでとうを言って」
「“おめでとう”も言い過ぎるとありがたみなくなるんじゃねぇの」
「もう、いうこと聞けって!」
 シャツの襟を勢いよく引っ張られ、にわかに体勢が崩れた。あっ、と思ったときには唇を塞がれていて、生あたたかい息が頬を滑った。
「むぅ、」
 ちいさな呻き声を上げながら先へ先へと性急に進もうとする万次郎の肩を、両手で押し留める。
「こらバカっ、マイキー!」
 万次郎は今も昔も変わらず、強情な子どもだった。誕生日を迎えたとはいえおとなと呼ばれるにはまだ遠く、はじめてキスをしたときの初々しさを表情のどこかに隠していた。
 キスは長く、舌を軽く吸われて、そこでようやく顔が離れた。
「な、10年後も30年後も50年後も、その先も、ずっとオレの誕生日祝ってよ」
 万次郎のまなざしはまっすぐに堅を貫いている。黒い瞳を、そこにうつる自分自身を見て、堅はわらった。
「そんなん、当たり前だろ」
 肩に置いていた手を滑らせて、万次郎の体を抱きしめた。
「ジジイになっても祝ってやっから、ちゃんと」
「ほんと?」
 万次郎は目を輝かせた。
「おお」
「約束しちまっていいの? 破ったら針千本だけど」
「おー、いいぜ」
「じゃあ、約束。どんな未来になっても」
 万次郎のいう未来に、きちんと自分がいることを堅は強く願う。「未来」という漠然とした時間の舳先で、万次郎は今と変わらない笑顔を浮かべている。その隣には堅がいて、東卍の仲間たちがいて、もしかしたら過去になった今のことを楽しそうに話しているかもしれない。もう「思い出」になった、「今」の時間のことを。
 万次郎の頭を、そのかたちをたしかめるように撫でた。やわらかな癖っ毛をゆびで梳き、そっと唇をおとすと万次郎はくすぐったそうにわらった。押しつけられた体が熱かった。
 今年の今日も、やがては過去に変わることを彼らも知りはじめていた。それでも、あったことに変わりはないから。たぶんそれだけでじゅうぶんで、今が過去に流れても、景色になっても、事実が揺らがなければなかったことにはならない。だから大丈夫、と堅は万次郎の熱っぽい体を抱いて誓う。どんな未来でも、オレはオマエを愛していると。




(24.0816)
Happy Birthday,Mikey!!

こちらは2024年8月16日開催のドラマイwebオンリー「ずっドマ!」にて、
展示させていただきました。
お読みいただきありがとうございました。