どこにいても正しくない気がした。だからってオレを選ばなくていいだろうよって、オレの言い分を聞いたならそう言いそうだけれど、オレの選択肢にはオマエしかいなかったのだ。それはたぶん、最初っから。
場地の尖った顎が夜の中に輪郭を描いていた。目の前にある顔はガキのころからあまり変わっていなくて、オレをひどく安心させる。
狭い部屋の空気はふたりぶんのアルコールの摂取量と比例して濃く濁っていた。缶ビールと酎ハイを交互に飲んで、したたかに酔うとそのまんま、リビングの床に転がって眠る。バカでのんきな大学生みたいだ。
実際に場地は大学生だったけれどオレは一応社会人で、こんなことをしている場合ではないのかもしれない。場地とは同級で、今年二十七歳。アラサー。ペットショップで働いている。年下の上司がいて、コイツがまあ口うるさい。でも、なんだかんだで今の日々は楽しい。
あんなに飲んだわりに頭はすっきりしていて、完全に覚醒していた。場地の長い髪の毛が視界の中でうねっている。さわれそうだった。
手を、伸ばしてみた。場地の頬に触れようとした指が、宙で止まった。
夜の闇の中でも、場地の痩せた頬やつんと上を向いた鼻はよく見えた。闇に目が慣れるくらいにオレは場地を見つめていたのだった。
伸ばした手を引いて、床に下ろした。オレの手も、指も、オレのものなのにそんな気がしなかった。オレは場地にさわりたかったのに、手と指がそれをさせなかった。行動は意思に反した。自覚すると背筋がゾッとした。
仰向けになって眠る場地に、ほんの少しだけ身を寄せる。カーペットの表面を体が擦る。安物のカーペットはざらざらとしていてけっして寝心地のよいものではなく、そもそも直接この上に寝転がることは推奨されていないのだろう。
場地の顔に先ほどよりも数センチ近づいて、近づいたぶんだけ呼吸の音や体温が濃く感じられた。触れようと思えば触れられる距離にいて、でもそれをオレの手や指がゆるさない。だからオレにはなにもできない。
頬をカーペットに押しつけて横顔を見つめる。ふいに心細さに襲われる。どこにいても正しくないと感じていた、ガキのころからある焦燥が、また。だからってなんでオレ? へらへらと笑う場地を思い浮かべる。場地は笑いながらオレの頭を乱暴に撫でる。――ぜんぶオレの妄想で、願望で、だからこんなにもせつなくて胸が苦しい。どこにいればよいのかわからない、場地の隣なら安心できる、そう思った。単純に、そう思ったのだ。
「なあ場地。……さわってもいい?」
つぶやきはたやすく溶けてしまう。はなから届けるつもりのない声だから、どうでもよかった。
目を閉じた。場地の世界を壊すことはできないと思った。オレ自身の世界も、そうだ。なにもしない、なにもできない、なにもかえられない。
夜はいつも世界を押し潰そうと躍起になる。今夜もどこかで誰かの世界が壊れたり壊されたり、新しくうまれたり、しているんだろう。かえられるだけの力がない、それは絶望のようにも希望のようにも思えた。不思議と涙は出なかった。
こんなにせつなくて苦しいのに、少しも涙は出なかった。
世界をかえるつもりはない ; yuko ando