「ねえ、三ツ谷は永遠って信じる?」
オレの腹に跨って、こちらを見下ろす柚葉の目は静かだった。胸を、強い力で押された。そう思ったつぎの瞬間にはソファの上に押し倒されていて、自分の無防備さを反省した。
その辺のふつうの女より喧嘩慣れしているとはいえ、柚葉だって女だ。腕力はオレのほうがあるし、体格もぜんぜんちがう。細い体のどこにそんな力があるのかと驚くほどの力で柚葉はオレの両肩をソファに押しつけ、全体重を預けてきた。長い髪の毛が流れて、頬にふれた。くすぐったい。
思わず、ふっと息が洩れた。柚葉の眉がかすかに動いた。「なに」。案の定、不機嫌そうな声が落ちてくる。
「いや、なんか、この態勢エロいなって思って」
「バカなの?」
正直な感想を伝えると柚葉は呆れたようすでため息をつく。そして続ける。「質問に答えて」。
永遠、ね。唐突に現れた言葉を、頭の中に浮かべてみる。永遠。そんなものについて考えたことなんてなかった。
「アタシはね、信じてた」
呆けたようにうすく口を開けて考えているオレに、柚葉はちいさな声で言った。
「幸せな時間はずっと続くって思ってた。ずっと、アタシが大人になってもずっとずっとって」
そんなことはなかったけど。そう言って微笑む。ひどくさみしそうに。無意識のうちに手が伸びて、柚葉の髪の毛にふれていた。
「大寿……家族のことか?」
ん、と柚葉はオレの手のひらに頬を寄せる。肩を押さえつけていた手で、オレの手を包む。
「三ツ谷といると、ママのことを思いだす」
いつもアタシをギュッてしてくれた、優しいママのこと。
「ママとパパと、アタシと八戒と、……それから兄貴とで、幸せに暮らせる時間は永遠だと思ってた」
「その永遠をぶっ壊したのは、大寿だろ」
悪ぃのはアイツだ、と言うオレに、柚葉は肯定とも否定とも判断のできないくらい僅かに首を傾げて、
「アタシの信じた永遠は、全部なくなっちゃった」
大きな瞳からひと粒のしずくがこぼれ落ちた。ぽつ、とオレの頬に落ちて、滑り落ち、ソファの布地を濡らした。
指のあいだをさらさらと逃げていく髪を、なん度も梳いた。こんなことで柚葉の胸に空いた穴は埋まらないと知りながら、それ以外に癒し方がわからなかった。オレらは無力なガキだから。喧嘩ばかりして相手をのしても、仲間のうち側にできた傷を塞ぐ方法をまだ知らない。
「ごめん」
オレは言った。「なにもできねぇで、情けねぇな」。柚葉はうすく笑って首をふる。
「ここにいてくれるだけでいいよ」
いなくならないでほしい、アンタには。柚葉は言った。いつになく弱々しい声だった。気丈で、真っすぐに立っている柚葉の、こんな姿ははじめて見た。
「いなくなんねぇよ」
約束、と小指を差し出す。一瞬、柚葉は驚いたように目を見開いて、それからおずおずと小指を絡めた。
「永遠なんてよくわかんねぇけどさ。でも、そんなんがあるならこれから作ればいーんじゃねえ?」
「え?」
「今日がそのはじまりの日、ってコト」
柚葉の頬を両手に包みこみ、首を持ち上げる。腹筋に力を入れて、上体を起こした。かすかに呼吸がふれた、その次のときには、唇どうしが重なっていた。
ゆっくり、顔を離す。顔じゅうを赤くした柚葉が、オレの目を見つめて、自分の唇に指を添えていた。
「……なにすんの、急に」
オレはソファに頭を預けて、笑った。
「それ、はじまりのキス。永遠はいまからはじまるの」
「なにそれ。ロマンチストかよ」
「柚葉が幸せになれんなら、ロマンチストでもなんでもいーわ」
似合わない、と悪態をつく柚葉の腰を掴んで、引き寄せる。抵抗はなかった。自然な動きで体が落ちてくる。体じゅうをぴたりと重ねて、またキスをした。今度はさっきよりも長く、深いキスだった。
「このまま、する?」
問いかけに、オレは少しだけ考えて、
「や、しばらくこのままがいい」
柚葉の体をぎゅっと抱きしめた。
制服越しに、背骨の硬さも細い腰のラインも感じ取れた。短いスカートから覗く大腿は白く眩しい。そんなものを見せつけられて、してもいいよ、と許可さえ出ているのに手を出さないのは女的にはどう思うのかななんて考えて、でも今はこの存在の体温を存分に感じていたい欲求があった。
肩口に顔を埋めていた柚葉が、深く息を吐いた。そうかあ。そして細い声で続けた。
「ここからはじまるのかあ」
満ち足りたような声音に聞こえたのは、オレの思い上がりではないと思う。そうだよ、とオレは心の中で答えた。
ここからはじまる。ここからはじめよう。ふたりで、永遠をつくろう。そんなものがあるって、幻想だろうがなんだろうが、信じたほうが幸せなら、いくらでも信じよう。ふたりで。オレは、ずっとここにいて、いなくなんねぇから。
柚葉の頭を撫でながら、十代の、高校生の、若者の、戯れみたいな約束だと思った。でも、それでなにが悪い、とも思う。信じたいものを信じてなにが悪い、と。
視線を上げると、大きな窓の向こうに夕闇が迫ってきていた。遠くのどこかで、すずむしが鳴いていた。
秋の夕暮れは一瞬だ。あっという間に日が落ちちまう。その僅かな時間を無駄にしないように、こめられる限りの力で柚葉を抱きしめた。
「エナメル」様のお題ガチャより。