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カクイザ(最終回軸/おとな)




 キスはいつも、イザナから、だった。目の前にふっと淡い影が落ち、あ。と思った次の瞬間には唇を掠め取られている。ふにふにと柔らかく、かすかに湿ったイザナの唇はその時々によってつめたかったりあたたかかったりするのだけれど、今朝のそれはいつもより少しばかりひんやりとして、鶴蝶は身を寄せてくるイザナの肩に手を置き「寒いか」と訊ねた。秋のはじまりの朝日が、カーテンのすきまから淡く落ちていた。寝起き特有の掠れ声に、イザナは「なんで?」と返す。長いまつげにふちどられた大きな目をよりまるく大きくさせたイザナに、だってオマエの唇がつめたいとすなおに言えば、彼は数回、瞬きをした。ぱちりぱちりとまぶたが開閉するたび、銀色の長いまつげが光を弾く。
 ベッドにはすでに鶴蝶ひとりぶんのぬくもりしかなかった。朝に弱いイザナが先に起きているなんてめずらしく、鶴蝶は夢とうつつの(あい)をたゆたいながらイザナの腰に腕を回す。スプリングが軋んで、イザナがベッドに体重を預けたのがわかった。そのままシーツに頬をくっつけて横になる。
 ベッドに寝そべった状態で真っすぐ見つめられると、その距離の近さや微かに感じ取れる体温に、今さらながらどぎまぎしてしまう。イザナのまなざしは揺らぎなく、鶴蝶を真っすぐに見つめていた。
「オマエのはあったかかったけど」
「オレの?」
 手が伸びてきて、頬を両のてのひらで包みこまれる。そのゆびさきはやはりつめたくて、鶴蝶はイザナの手の上に自らの手を重ねた。
 ゆびを絡め、手を繋いで見つめあうと、まるでふつうの恋人どうしだ。鶴蝶は頬に熱が宿るのを感じた。イザナとはそういう関係ではあったけれど――少なくとも鶴蝶はそう信じていたかったけれど――、はっきりと自覚をすれば嬉しさで胸がくすぐったい。イザナは口もとをゆるめて、
「ほっぺたもあったけぇ。オマエ、どこもかしこもあったけぇのな」
 毛布の中に体を滑りこませ、鶴蝶の胸もとに顔を沈める。長い足が鶴蝶の足に絡まって、逃げようとする動きを封じる。イザナの体は静かに冷えていて、鶴蝶はふいにかわいそうに思った。オレの体温を分けてやりたいと思い、抱きしめてみる。「あったけぇ」。イザナは鶴蝶の体に腕を回して、くすくすと笑った。細長いゆびが鶴蝶の背骨をなぞった。
「ここはあっためてくんねぇのかよ」
「ここって?」
 顔を上げて、イザナは自身の唇を指差した。途端、鶴蝶の顔がぼっと朱色に染まった。
「オマエ、な……」
「今さらなに照れてやがんだぁ?」
 ヘンなやつだなと言いながらイザナは首を伸ばし、鶴蝶の唇に唇を重ねた。つめたい、と最初は思った唇が少しずつぬくもってゆく。
 触れたそこから自分の熱がイザナに伝わっているのが、恥ずかしくてたまらない。イザナに触れられるとたやすく熱を帯びてしまう体――それを知っていてイザナはいつもいたずらばかり仕掛けてくる。でも、そんな彼をとても愛おしいと思うのだった。
「……まだ、寒いか?」
 うすい背中を上下にさすりながら問うと、イザナは小さく笑った。答えはなかった。代わりのように、鶴蝶の鎖骨に頬を擦り寄せてつぶやく。
「もう寒くねぇ」
 パジャマの布地越しにくぐもった声が聞こえた。身を寄せあって暖をとる自分たちは、ほんとうにただのどうぶつみたいだと鶴蝶は思った。

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(あたたかくしてね)

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#5.フィエスタ(振り向く・緑・休息)/カクイザ(最終軸・おとな)



 桜の樹の幹に寄りかかって眠るイザナを見つけたのは、正午を過ぎたばかりのころだった。ゆるやかな曲線を描いた葉影の群れが、イザナの褐色の頬に落ちている。風の吹くたびに枝が揺れて、葉擦れの音がささやかに聞こえる。
 樹の根本に腰を下ろし、片膝をあげた状態でイザナは目を閉じている。おだやかな寝顔に、鶴蝶はアポイントを取っていた客が彼を待っていることなど忘れて、イザナの側にしゃがみこんだ。眠っているイザナを起こしてしまうのは憚られた。このところ出張続きでまとまった休みが取れていないイザナにとっては、今が貴重の休息の時間なのだろう。
 彼が休みにくい立場にいることも、泊まりの出張の時以外は毎日一度は現場にやって来て、園で遊ぶ子どもたちのようすを見ることを日課にしていることも、鶴蝶は当然知っていた。最後にイザナが休みを取ったのは、いつだったろう。頭の中でカレンダーをめくってみたが、三週間前に半日だけ仕事を抜けた記憶までしか辿れなかった。
 こども園の裏庭はあそぶもののないただの原っぱで、太い桜の樹が一本、庭の中央に植っている。ぐるりを囲むのは野生のつつじだ。緑の原っぱ、と子どもたちが呼ぶここは立ち入りは自由なのだがさして面白くもないのか、まるで人気がなかった。遠くに園庭であそぶ子どもたちの声が響いてくるだけの、静かな場所。イザナは、ときおりひとりでここを訪れていた。それを知っているのは法人幹部の中でも鶴蝶だけだった。
 黙って寝顔を見つめていると、閉じられた瞼がかすかに動いた。そろそろと長いまつ毛が持ち上がり、鶴蝶の顔に焦点があう。
「……悪い、起こしたか」
 鶴蝶は謝ったが、イザナは大きなあくびをするだけだった。第一声が文句じゃないなんて珍しいな、と思った矢先に、イザナは、
「ヘンな夢、見た」
 と、つぶやいた。ひとりごとのようだったが、まなざしはまっすぐに鶴蝶に向けられていた。
「ゆめ?」
「そう。オレが、なんかの拍子に死んでさ」
「縁起でもねぇな」
 物騒なことばに、鶴蝶は眉間に皺を寄せる。イザナはその眉間に人差し指を突きつけて、ぐい、と押した。
「まあ聞けって。そんで、あー、天に召されるんだなって思ったときに、声がしてさ。ふり向いたら、オマエがいたんだ」
「オレ?」
「そう。なんでオマエがいるんだろうって思ったんだけど、なんかさ、うれしかったよ」
「……そ、うか」
 うれしかった、なんて、イザナらしくもないことばだ。特に鶴蝶にたいして向けるのはいつも、意地悪ばかりだったから。鶴蝶は狼狽えつつも、彼の発したことばがじんわりと胸をあたためるのを感じた。
「変な夢だったな。起きたら起きたで、目の前にオマエがいるしよぉ」
 イザナの手が伸びて、あ、と思ったときには頬に触れていた。
「……オマエを呼び止められて、よかった」
「なんだ、そりゃ。そう簡単に三途の川なんか渡って堪るかよ」
 鶴蝶はふふ、とわらう。頬を撫でるイザナの手は寝起きらしく体温が高い。やわらかくて、あたたかかった。
 ところで、とイザナは言った。
「オマエ、なんの用だ? オレの貴重な眠りを妨げやがって」
 ああ、とそこでようやく、鶴蝶は用件を思い出した。
「アポ取ってた客が来てる。探しに来たんだ」
「はあ? ばかかオマエ、はやく言えよ!」
「すまん、起こしたら悪いと思って――」
「結局起こしてんだろーが、ばぁか!」
 慌てて立ち上がったイザナのスラックスから、千切れた下草がはらはらと落ちた。去り際に鶴蝶の頭を平手で叩く。少しも痛くないのは手加減をしているからだ。今日のイザナは機嫌がよいようだった。それとも万が一にも園の子どもに見られたときのために、取り繕っているのか。
 園内で、法人の理事長でありながらイザナは子どもたちから人気が高い。優しくてイケメン、というところが特に女子に人気の理由の一つだ。
 肩を怒らせて園に戻っていく後ろ姿を見つめ、鶴蝶は叩かれた頭をてのひらで撫でた。夢の中で死んだらしいイザナは、でも現実世界ではちゃんと生きて、こうしてオレの頭を叩いたり悪態をついたり、している。
 川を渡りかけたイザナを呼んだのが、オレであったことがうれしい。うれしかった、とイザナは言ったが、オレのほうが、何倍もうれしかった。他の誰でもないオレが、イザナの手を取れたこと。
 たかが夢じゃないか、と思うと自嘲の笑みが浮かぶ。それでも、イザナの生きている世界はまだこんなにも美しくて、これから先もきっとずっとそうだ。
 視線を上げた先にある青空がとても眩しく輝いていた。この空をイザナにもずっと、見ていてほしいと鶴蝶は願うのだった。

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